日本人の物語00888【建武期】天皇還京 堀口貞満の大演説
堀口貞満はすがるように後醍醐天皇のもとに座り込み、怒りの涙を流しながらこう述べました。
「義貞にどういう不義があって、多年の粉骨の忠功をお見捨てになって、大逆非道の尊氏にお心を移されたのでしょうか。さる元弘の初め、義貞はおそれ多くも綸旨を頂戴して関東の大敵を滅ぼし、隠岐でのご苦労を三年の間にお静め申し上げました。その後、尊氏の反逆が明らかになって以来、大軍を制圧して戦ってまいりました。しかし今、朝敵の勢いが盛んであり我々がたびたび不利になっているのは、戦う者のせいではなく、ただ帝が威徳に欠けていて、味方になってくれる兵が少ないからではないでしょうか。もし当家の多年に及ぶ忠義を捨てて京へ戻ろうということであれば、当家の一族50人の首を刎ねてからにしてください」
いやはや、あの独裁者・後醍醐天皇に対して「威徳に欠けている」と面前ではっきり言ってしまうとは、言いたい放題です。しかしこう言いたくなる気持ちも分かります。
この堀口の大演説には公卿たちも感銘を受け、さすがの後醍醐天皇も無視できない空気になりました。そこに遅れて新田義貞・脇屋義助兄弟が現れます。
義貞は怒りを抱きながらも礼儀を正して、庭先に並んで座りました。天皇は義貞・義助を近くに呼んで涙ながらに、
「貞満が私を恨んで申したことは、確かに理由のあることだ。尊氏が反逆を起こしたとき、義貞も同じ一族でありながら忠義を守ったことは大いに感心するところである。そなたを頼りに世を治めようと思っていたが、私に天運が訪れず兵が疲れ衰えたので、尊氏と一時的に和睦して時を待とうと思ったのだ。このことをあらかじめそなたに内々に知らせようとは思ったが、事が広まってしまうとかえって難しいことになると思ったので、時機を見て言おうと思っていた。今の今まで伝えなかったことは私の誤りであった。義貞は、まずは越前国(福井県)に行ってしばらく兵の気力を養い、北国を討ち従えて再び大軍を起こして天下の守護役となって欲しい」
これまた後醍醐天皇にしては、自らの非を認める珍しい口ぶりです。決して義貞を見捨てるわけではないとの言い分です。
天皇がこうは言っていても、天皇がひとたび京に戻ってしまうと義貞追討令が出され、義貞は天皇側近から朝敵に転落してしまうおそれがあります。その義貞の懸念を払拭するため、後醍醐天皇はある提案を義貞に持ちかけました。
