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日本人の物語00168【飛鳥】法隆寺建立*

 推古天皇15(607)年。厩戸皇子は法隆寺を建立しました。現在の奈良県斑鳩町(いかるがちょう)です。
 それにしても法隆寺の立地は不思議です。
 推古天皇の時代、政治の中心は飛鳥の小墾田宮(おわりだのみや:奈良県明日香村)にありました。一方、法隆寺のある斑鳩町は、飛鳥から20km以上も離れています。
 厩戸皇子は毎日斑鳩から飛鳥まで馬で通っていたというのですが、馬でも一時間近くかかる道程だと思います。なぜもっと近くに住まなかったのでしょうか。豪族たちから距離を置くためかもしれません。
 この法隆寺は世界最古の木造建築です。現在残っているものは厩戸皇子自身が建立したものではなく、7世紀後半に再建されたものではないかともいわれていますが、それでもなお世界最古です。
 この法隆寺の金堂(こんどう)には、当時の貴重な仏教画、それも日本の仏教絵画の代表作として国際的に著名なものが安置されていたのですが、昭和24(1949)年1月26日の早朝、金堂に火災が発生しました。
 当時、金堂内では壁画を模写するために画家が出入りしていました。この画家が使っていた電気座布団が出火元といわれていますが、他にも様々な説があり、真相は分かっていません。壁画は蒸し焼き状態になり、大半が焼損してしまいました。
 この火災がきっかけで、議員立法により「文化財保護法」が制定され、火災のあった1月26日は「文化財防火デー」とされました。この日には、全国の神社仏閣が防火訓練を行っています。
 法隆寺は、平成5(1993)年には、法起寺とともに「法隆寺地域の仏教建造物」として世界遺産に登録されました。姫路城と並び日本初の世界遺産ということになります。特に金堂の釈迦三尊像と玉虫厨子(たまむしのずし)は見ものです。
 さて、法隆寺の宗派は「聖徳宗」といいます。聖徳太子を祖とする宗派というわけです。最近の歴史教科書では、「聖徳太子」という尊称は用いず「厩戸皇子」に統一されるようになり、昔の教育を受けた人からは「違和感がある」との意見が出ているようです。
 いわれてみれば、歴史教科書という客観的な事実を積み重ねるべき書籍において、地の文で尊称を用いるのはおかしいのかもしれません。「関ヶ原の戦いで、東照大権現(徳川家康の尊称)が石田三成に勝利した」などと書かれていたら、さすがにおかしいだろうと思います。

法隆寺の五重塔。現存する世界最古の木造建造物。2024年5月4日撮影。

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