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日本人の物語00143【人代後期】顕宗天皇の遺恨

 さて、顕宗天皇にはどうも大人げないエピソードが残っています。
 億計王・弘計王は、父を殺されて播磨国に逃亡する際、猪甘(いかい)という老人に食糧を奪われたことがありました。泣き面に蜂という感じですね。
 顕宗天皇は、この猪甘を見つけ出して斬殺し、さらにその一族の者たちの膝の筋を断ち切ったというのです。そのせいで、その一族の子孫たちは大和へ来るとき、必ず足を引きずるのだといいます。
 まあ、後天性質は遺伝しないので、そのようなことはあり得ないのですが、それにしても凄い執念ですね。
 顕宗天皇の遺恨はまだまだありました。
 顕宗天皇は、父の仇である雄略天皇に激しい怒りを抱いていました。そこで、顕宗天皇2(486)年8月1日、雄略天皇の墓(島泉丸山古墳:大阪府羽曳野市)を破壊しようと思い立ちました。
 兄の億計王が、
「このようなことには他人を遣わすべきではない。私が行こう」
と言って、墓に出かけていきました。
 しかし、億計王がすぐに戻ってきたので、顕宗天皇は訝しがり、
「どう壊したのか」
と尋ねました。すると億計王は
「陵の傍の土を少しだけ掘った」
と答えます。
「なぜ少ししか掘らなかったのか」
と尋ねる顕宗天皇に、億計王はこう答えました。
「天皇の墓を破壊したら、きっと後世の人々に非難されるだろう。辱めを与えることが目的であるから、傍の土を少し掘るだけで十分だ」
 これに顕宗天皇は納得したとのことです。さすが、兄の方が大人ですね。
 顕宗天皇3(487)年4月25日。顕宗天皇は崩御しました。僅か2年間の治世でした。
 この時代、天皇の位は終身制で、生前に譲位するという文化がありませんでした。兄弟のうち弟の方が先に即位したわけですから、もし兄が先に死去すると、兄に即位のチャンスは与えられなかったということになります。
 たまたま弟の方が先に死去したため、兄弟二人とも即位することとなったわけですね。

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