日本人の物語00996【南北朝前期】御所巻 太平記の記述
「御所巻」という文化、鎌倉幕府や江戸幕府ではあり得ないですよね。室町幕府の将軍権力はかくも低かったのか、と呆れるほかありません。
尊氏の誘いを受けて、直義は兵とともに将軍の御所、近衛東洞院に入りました。
正平4/貞和5(1349)年8月13日早朝。師直・師泰・師夏(もろなつ:1339~1351)は、多くの兵を引き連れて御所を取り囲み、鬨の声を挙げました。ここで初登場した師夏は師直の子です。
しかしさすがの師直も、足利家執事の身でありながら主君の館に攻撃することはできなかったのでしょう。取り囲む以上のことはできず、時を持て余すばかりです。
このように、室町幕府の御家人が将軍の館を取り囲むことを「御所巻(ごしょまき)」といいます。御所巻はその後も、武士が将軍に抗議の意を示す行為として数度行われています。鎌倉時代や江戸時代には考えられない行為であり、それだけ室町時代の将軍の権威が低かったことを示しています。
尊氏は師直に使者を派遣し、こう述べました。
「かつての源義家公の時代から、そなたの祖先は当家の代々の家臣として主従の礼を尽くしていた。ところが今、そなたは一時の怒りによって恩を忘れ、穏やかに事情を話すこともせず大軍を動かし御所を囲んでいる。これは天に反する行為ではないか。心中に何か憤りがあるのであれば、引き下がって思うところを述べるがよい。もしそなたが讒言の真偽を確かめようともせずに、それを口実として国家の統治権を奪おうという企てを持っているならば、もはや問答の必要はない。命を懸けて戦い、冥土からそなたの命運を見ることにする」
すると師直は、
「そこまでのお言葉を聞くとは思いませんでした。三条殿(直義)が讒言をそのままお取り上げになって、理由もなく私の一族を滅ぼそうとの計画を立てられましたので、わが身の誤っていないことを申し開き、讒言する本人を懲らしめようと思ったに過ぎません」
と答え、そのまま開戦の合図をして攻めかかって来ました。
尊氏は怒って、
「よろしい。それならば討ち死にしよう」
と言いながら戦の準備を始めましたが、直義は
「この災いは私を恨んでのことです。将軍が軽々しく家臣と戦うべきではありません。師直が讒言した者を名指ししているのですから、求めに応じてその者達を呼び出そうではありませんか」
と言って戦を回避すべき旨主張しました。尊氏も思い直し、師直の求めに応じて
「これから後は直義を政治に参加させないこととする。上杉重能・畠山直宗は遠流とする」
と決定し、師直に通知しました。師直は大いに喜んで、御所の囲みを解きました。
ここまで述べてきた太平記の記述によるもので、御所巻の実像はこうではないようです。
