見出し画像

日本人の物語00313【平安中期】蜻蛉日記 町の小路の女

 兼家からの手紙にはこんな歌が書かれていました。
「音にのみ 聞けば悲しな ほととぎす 語らはむと 思ふ心あり」
(美しい方だとの噂だけを聞いているのは悲しいことです。語り合ってみたいと思います)
 和歌としての出来も実にひどいものです。道綱母は「返事をする必要もないのでは」と思いましたが、母親に命じられて仕方なく返歌を送りました。
「語らはむ 人なき里に ほととぎす かひなかるべき 声な古しそ」(貴方ほどの方が語り合うべき相手はここにはおりません。せっかくのほととぎすの声も無駄になってしまいます)
 求婚されても最初は断るのが当時の鉄則です。
 その後、兼家からのたびたびの求婚があり、3、4ヶ月後に2人は結婚することとなりますが、この結婚が道綱母をひどく苦しめることになります。
 道綱母が兼家と結婚したころ、兼家には時姫(ときひめ:?~980)という正室がおり、既に長男・道隆が産まれていました。道綱母は側室として嫁入りし、天暦9(955)年8月に道綱(みちつな:955~1020)を産みます。蜻蛉日記には「その頃の夫からの心遣いは、心がこもっていた」と書かれており、夫との関係がうまくいっていたことが分かります。
 しかし出産の翌月から道綱母は夫への不信感を募らせるようになります。翌9月、夫が出ていった後に、道綱母は文箱の中に別の女への手紙を見つけてしまいます。さらに10月には三日続けて姿を見せないことがあり、「どうやら新しい女のところに行ったらしい」と道綱母はため息をつきました。
 この新しい浮気相手は「町の小路の女」とだけ書かれていて、具体的に誰のことかはよく分かりません。「天皇の孫にあたる」だとか、蜻蛉日記の中にはいろいろなヒントもあるのですが、今も特定されていません。
 道綱母は正室の時姫と慰め合おうと思って、次のように書き送ります。
「そこにさへ かるといふなる 真菰草(まこもぐさ) いかなる沢に ねをとどむらむ」
(真菰草のような兼家様の心は、あなたのところからも離れてしまったとか。いったいどんな女のところに、根を張っているのでしょうね)
 時姫からの返歌はこうです。
「真菰草 かるとは淀の 沢なれや ねをとどむてふ 沢はそことか」(私のところからは離れてしまいました。根を張っている女のところは、あなたのところだと聞いておりますわ)
 時姫にとって、道綱母からの慰め合いはお門違いだったようです。それもそのはず。つい数ヶ月前、道綱母によって夫を奪われてしまったばかりなのですから。
 しかしそうこうするうちに「町の小路の女」は兼家の寵愛を失ったようです。「町の小路の女」が兼家の子を出産したころから、兼家の気持ちは冷めてしまったとのこと。さらに、その出産した子もすぐに死んでしまったそうです。子が死んだと聞いた道綱母は「今ぞ胸はあきたる」(胸がすっとした)などと書いています。実に怖いです。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集