日本人の物語01431【三山】北山王国滅亡
このあたりからは、個別の登場人物の善悪の評価はさておき、「誰が誰を倒したか」はほぼ史実と考えられます。
中山王国の首都はそれまで浦添城でしたが、尚巴志は首都を首里城へと移し(もっと早い時代との説もある)、港湾都市・那覇を通じて明との交易をより盛んにさせました。さらに王茂(おうも)や懐機(かいき)といった華人を中山王国ナンバー2に当たる国相(こくしょう)のポストに就け、明の最新の政治制度を取り入れて国を強化させていきました。
そして永楽14(1416)年には北山王国の征伐が行われます。
北山国王の攀安知は、前述のとおり暗君であったため按司たちの支持を失っていました。北山の按司たちは日頃の不満を爆発させ、尚巴志に
「今帰仁城を攻めていただければ、我らはお味方する」
と申し向けてきました。尚巴志はその按司たちの軍と合流し、今帰仁城を攻撃します。
しかし今帰仁城は堅固でなかなか落ちません。そこで尚巴志は、北山王国の中でも武勇の者として有名な本部平原(もとぶていばら)という武将に賄賂を送り、寝返りを約束させました。本部平原は現在の沖縄県本部町を拠点とする武将です。
翌日、本部平原は攀安知に、
「私は裏手の敵を討ちますので、王は表の敵を蹴散らしていただきたい」
と進言し、これを聞いた攀安知は表門から討って出て、戦を開始しました。ところが振り返ると、城内から火の手が上がっています。急いで城に戻ると、城門から太刀を持った本部平原が出てきて、襲い掛かってきました。
信頼していた味方の裏切りに怒り狂った攀安知は、先祖伝来の宝剣「千代金丸」で本部平原を討ちました。そして死を覚悟し、城の守護神であるカナヒヤブの霊石を斬りつけました。家に伝わる宝を敵に渡したくなかったためでしょう。
しかし、さすがの宝剣「千代金丸」といえども霊石は斬れません。攀安知は城の外側を流れる志慶真川(しじまがわ)に宝剣を投げ捨て、別の刀で自害して果てました。
その後、宝剣「千代金丸」は川から拾われて尚巴志のものとなり、尚家の宝物として現在にまで残されています。現在は国宝に指定され、那覇市歴史博物館に所蔵されています。
尚巴志は北山地方を治めるため、今帰仁城に監守として次男・尚忠(しょうちゅう:1391~1444)を置きましたが、その監守も江戸時代に入ると置かれなくなり、今帰仁城は捨て置かれるようになりました。しかし石垣や城郭は現在まで保存されており、首里城跡とともに世界遺産に指定されています。
この戦いで北山王国は滅亡したものの、攀安知の子は沖永良部島に落ち延びたと伝えられています。
攀安知は、史書『球陽』では驕り高ぶる愚かな王として描かれていますが、別の史書『中山世鑑』では悲劇的な最期を遂げる武勇に優れた人物として描かれています。今となっては攀安知の実像を知るのは難しそうですね。
「千代金丸」は刀剣乱舞のキャラクターとして登場しているようです。琉球の千代金丸があるなら、アイヌのクドネシリカも登場させれば良いのに。
