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日本人の物語00621【鎌倉前期】実朝暗殺 突然の腹痛*

 実朝一行は鶴岡八幡宮に到着し、境内に入ったところで、御剣役(剣を持つ役のこと)として儀式に参加する予定だった北条義時は、突然体調不良を起こし、八幡宮内の神宮寺で休息をとることとなりました。義時の代役として、御剣役は源仲章が務めることとなりました。
 『吾妻鏡』には、この体調不良についてさらに詳細な話が記されています。
 この実朝暗殺の半年前に当たる建保6(1218)年7月8日、左近衛大将となった実朝が拝賀の儀のため鶴岡八幡宮に参拝しました。これに随行していた北条義時が、夜になって屋敷に戻って休息していると、夢の中に突如として戌神が現れ、
「今年の将軍の参拝は無事であったが、来年の拝賀の日には供奉しないように」
と告げたというのです。
 この戌神というのは、薬師如来に付き従う十二神将のうちの一つです。
 夢から覚めた義時は、お告げの内容に戸惑いながらも、御堂を建立して薬師如来像を安置するよう命じました。
 これを聞いた家臣たちは、
「今年は鎌倉殿のご参詣によって多くの出費を強いられています。さらに大規模な造営を行うとなると、赤字になります。造営工事は百姓たちに負担させましょう」
と薦めたものの、義時は
「これは私自身の身の安全を祈願するものなので、百姓に負担させず北条家の者だけで完遂すべきである」
といって、北条家の家臣だけで造営を行ったといいます。
 こうして「大倉薬師堂」という御堂が建てられ、同年12月2日に落成式が行われました。本尊である薬師如来像は運慶(うんけい:1150?~1224)の作です。
 さて、「来年の拝賀の日には供奉しないように」と言われた義時でしたが、問題の拝賀の日にはこのお告げを破って実朝に随行してしまいます。
 ところが八幡宮の境内に入ってまもなく、楼門のそばにいた白い犬を見ると義時は急に腹痛をもよおし、やむなく随行を諦めることとなったというわけです。そう、この白い犬というのは、十二神将像の戌神像が姿を変えたもので、義時に危険を知らせるために現れたというのです。
 あまりにご都合主義で、到底史実とは思えない話ではありますが、こうして義時は戌神のおかげで難を逃れることとなったのでした。
 なお、大倉薬師堂はその後「覚園寺」という寺院に生まれ変わり、現在もその薬師如来像を拝むことができます。

実朝暗殺時に難を逃れた義時が建立した大倉薬師堂は、その後9代執権貞時により「覚園寺」となった。かなり奥まった場所にある。2022年9月17日撮影。

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