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日本人の物語00509【平安末期】屋島の戦い 扇の的

 150騎しかいなかった義経軍は、地元のアンチ平家方の武士を続々と連れ込み、300騎ほどになっていました。
「今日は日が暮れそうだ。勝敗は決まらなかったな」
と言って、義経たちが引き上げようとしたとき、平家側の小舟が一艘、陸の方に近づいてきて、横向きになりました。一同が
「あれは何だろう」
と思って見ていると、舟の中から優美な女房が、紅の地に金色の太陽を描いた扇を持って出てきました。その扇が竿の先に結び付けられ、高く掲げられました。
 義経は配下の後藤実基(ごとうさねもと)を呼び、
「あれはどういう意味だろうか」
と尋ねました。実基は
「あの扇を射よということでございましょう」
と答えます。
 これは平家方からの挑戦ということでしょう。挑戦を受けて応じないわけにはいきません。義経が
「弓の得意な者は誰がいるか」
と実基に尋ねたところ、
「下野国の住人、那須与一(なすのよいち:1169~1189?)がよいでしょう。飛んでいる鳥を射落とす競技を行うと、3度に2度は射落とす者です」
との返事があり、那須与一が呼ばれることとなりました。那須与一は
「射損じたときは味方の恥となりましょう」
と言って辞退しようとしますが、義経が辞退はならぬと怒ったため、やむなく波打ち際へと出ました。
 扇の的までの距離は約七段(75メートル)で、しかも舟はゆらゆら揺れています。那須与一は、
「南無八幡大菩薩……願わくは、あの扇の真中、射させてたばせたまえ」
と祈り、もし射損じたならば自害すると誓って矢を放ちました。果たして、その矢は扇の中央を射抜きます。
 源氏方も、平家方も感嘆してわっと盛り上がりました。敵味方関係なく皆が那須与一の技を称賛したのです。

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