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日本人の物語00242【奈良】奈良時代総括

 最後に、奈良時代の政治の流れを総括しておきます。
 奈良時代とは、藤原氏と皇族が主導権を奪い合い、交互に政権を担当した時代でした。
 最初は藤原不比等が実権を握りましたが、不比等の死後、政治権力は長屋王に集中しました。長屋王が謀略によって葬られると、藤原四子が幅を利かせるようになりますが、四子が相次いで病没すると、元皇族である橘諸兄が吉備真備と玄昉をブレーンとして政権を運営し始めます。
 その橘諸兄を追い落とし、孝謙天皇の信頼を勝ち取って頂点に立ったのが藤原仲麻呂でした。しかし孝謙天皇譲位後、仲麻呂は彼女と次第に距離を取り、新たに即位した淳仁天皇と協働し始めます。
 孝謙上皇は弓削道鏡と組んで淳仁天皇・藤原仲麻呂を葬り、称徳天皇として重祚しました。しかし「道鏡を天皇に」という大胆不敵な神託を出させたのはさすがにやり過ぎでした。称徳天皇の死後、道鏡はあっという間に失脚してしまいます。
 その後は光仁天皇を擁立した藤原百川が実権を握り、次代の桓武天皇を擁立します。
 こうしてみると、奈良時代を通して、藤原氏の権力基盤はまだまだ打倒され得るレベルの脆弱なものだったと言えます。絶対的な権力基盤を誇った平安中期とは比べものになりません。
 しかし、「豪族の権力をそぎ落として天皇に権限を集中させる」というコンセプトで大化の改新が行われてから、約150年かけて藤原氏が着々と存在感を増している様子が窺えます。
 もう一つ奈良時代を語る上で看過できないのは、聖武天皇というひどく困った為政者の存在です。
 都を転々として土木工事を頻繁に行わせ、
「民が飢えや疫病に苦しんでいるのは朕の不徳のせいだ」
と悩んだところまでは良いのですが、そのために大仏を作ろうと企図してますます民を苦しめた人物です。いかんせん、その聖武天皇が奈良時代を通して最も名の知られた天皇なのです。
 奈良時代には、唐の政治・文化を取り入れて日本を一等国にしようと頑張った政治家たちが大勢おり、その結果、天平文化として見るべきものを残すことができ、文化国としては飛躍したといえるでしょう。一方、経済政策に関する知見はまだまだ不十分で、貨幣を鋳造したもののほとんど流通せず、模索を続けていたといえます。
 さて、次回から平安時代に入ります。藤原氏が他氏を次々と蹴落として権力を握っていくこととなります。

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