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日本人の物語00117【人代前期】相模国造との対決

 さて、ヤマトタケルは熊襲と出雲とを平定して、無事に大和に帰ってきました。驚いたのは景行天皇です。息子を死なせるつもりで送り出したのに、まさか2箇所も平定して無事で戻ってくるとは思わなかったのでしょう。
 やむなく景行天皇は、「続いて東国を平定してもらいたい。すぐに出発するように」とヤマトタケルに指示を出します。軍勢もつけてもらえず、たった一人での東征です。
 勘の悪いヤマトタケルも、さすがに今回ばかりは父の真意に気づいたようです。景行天皇40(110)年10月2日に東国に向け出発し、途中、伊勢神宮に参拝して叔母のヤマトヒメに会い、「父はきっと私を殺すつもりなのでしょう」と涙ながらに訴えました。
 これを聞いたヤマトヒメは、ヤマトタケルを哀れに思い、三種の神器の一つ、草薙の剣を渡します。さらに、「困ったときにこれを開けなさい」と言って袋を渡してくれました。何が入っているかはこの後のお楽しみです。
 ヤマトヒメと別れたヤマトタケルは、次に尾張国(愛知県)に寄りました。そこで出会った豪族の娘、ミヤズヒメ(宮簀媛)と恋に落ちます。「これから東国を旅してくるから、帰りに尾張に立ち寄った際に結婚しよう」と言って、ミヤズヒメと婚約してから、さらに東へ進みます。
 さて、相模国(神奈川県)で新たな戦いがヤマトタケルを待っていました。相模国に着くと、相模国造(さがみのくにのみやつこ:現在の神奈川県知事)がヤマトタケルを歓迎してくれました。相模国造は「野の中に霊力のある神がいらっしゃいます」と言って、ヤマトタケルを野の中に案内しました。そこに入っていくと、なんと後ろから野に火をつけられてしまいます。相模国造は実はヤマトタケルを殺そうと企てていたのです。
 すっかり火に囲まれてしまい、困ったヤマトタケルは、叔母の言葉をふと思い出します。「困ったときはこれを開けなさい」と言われたあの袋を今こそ開けるときだ……と、袋を開けてみると、中に入っていたのは火打石でした。
 ヤマトタケルは剣で草を薙ぎ払ってから、火打石で向火をつけました。「向火(むかいび)」とは何なのか、想像するしかありませんが、相手が付けた火とは別の場所に火をつけることで、火の勢いが変わって形勢が逆転したということでしょう。そんなことが科学的にあり得るのかどうか分かりませんが。
 さて、ここで草を薙ぎ払ったから「草薙の剣」と呼ぶわけなのですね。厳密には、このエピソードよりも前の時点では「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」という名称で呼ばれており、ここで名前が「草薙の剣」に変わったわけです。
 このエピソードは、「焼津(やいづ)」という地名の由来になったという説があります。
古事記には「相模国(神奈川県)」と書かれていますが、日本書紀ではこのエピソードは「駿河国(静岡県)」で起こったと書かれており、齟齬があります。焼津市は静岡県ですから、古事記の方の記述が誤っているのかもしれません。

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