日本人の物語00207【奈良】44代元正天皇
和銅4(711)年10月23日。政府は「蓄銭叙位令(ちくせんじょいれい)」を制定しました。これは一定の銭を蓄えた者に官位を与えようというものです。和銅元(708)年に作った和同開珎がなかなか流通しないので、この流通を図るために制定されたわけです。しかし「お金があれば出世できる」という法令には、何ともいえないインモラルさを感じますね。
この蓄銭叙位令の結果、和同開珎はかえって流通しなくなってしまいました。そりゃそうですよね。貯金を奨励する法令ですから、みんなお金を使うどころか入手次第「たんす預金」をしてしまうのです。
蓄銭叙位令は藤原不比等が行った政策と考えられますが、唐の制度を学んで大宝律令を制定した不比等ですら、まだ経済的な物の考え方が分からないまま、経済政策を模索している様子が窺えますね。
一方、天武天皇の時代に打った布石で、この時代になって実を結んだものがありました。古事記の完成です。
和銅5(712)年1月28日。稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗誦し太安万侶(おおのやすまろ:?~723)が筆記した古事記が完成し、元明天皇のもとに提出されました。私がこの稿で「神代」として書いてきた神話は、古事記のストーリーを要約したものです。
さて、霊亀元(715)年9月2日、54歳になった元明天皇は、「年老いたので皇位を譲りたいが、皇太子の首皇子は未だ14歳である。氷高は若いが評判もよく、物静かで美しい」と述べ、娘の氷高内親王に譲位しました。弟の首皇子が成長するまでの中継ぎというわけですね。公式の詔に「美しい」と書いてあるわけですが、一体何のために書いたのでしょう。皇位を譲ることと無関係な気がしますが。
なぜ氷高内親王に譲位することとなったのか。
元明天皇には娘が2人いました。氷高内親王と吉備内親王です。そのうち吉備内親王は、高市皇子の長男である長屋王と結婚しています。この時代、夫がいる女性には皇位継承権が認められていませんでした。未婚であるか、夫と死別していることが要件です。夫に権力が集中してしまうことを防ぐためでしょう。そのルールがあるため、中継ぎとしては、氷高内親王以外に選択肢はなかったのでしょう。
こうして氷高内親王が天皇に即位しました。第44代元正天皇です。
元明天皇から元正天皇への皇位継承は、天皇史上唯一の、母から娘への継承となりました。そもそも、女帝が2代連続で就いたのは日本史上このときだけです。また、公式歴史書たる『続日本紀(しょくにほんぎ)』で、その容姿について「美しい」と書かれた女帝も元正天皇だけです。どんな容貌だったのか気になりますね。
小説家・永井路子は、元正天皇を主人公とした『美貌の女帝』という作品を発表しています。類い稀な美貌を持ちながら、若くして皇位に就くことを期待され、その結果一生独身を通すことを余儀なくされた悲劇的な生涯が描かれています。
