日本人の物語00123【人代前期】オシクマの反逆
出産を終えた神功皇后は、ホムダワケを連れて大和に帰国します。しかしここで、ホムダワケの命を狙う者がありました。ホムダワケの腹違いの兄たちです。仲哀天皇には、別の妻との間に
・カグサカ(鹿坂)
・オシクマ(忍熊)
という2人の子がいたのです。
神功皇后元(201)年2月。カグサカとオシクマは、ホムダワケを殺害する計画を立て、その計画がうまく行くかどうかを占うために狩りをしました。
当時、誓約狩(うけいがり)と言って、狩りがうまく行くかどうかで、計画がうまく行くかどうかを占う習慣があったのです。
すると、狩りの最中にカグサカが大きな猪に襲われ、食い殺されてしまいます。やはりホムダワケは神意によって守られているようですね。「計画はうまく行かない」という神の意志が示されたのです。
しかしそれにも動じず、弟のオシクマはなおも軍勢を集めてホムダワケを待ち構えました。すごい精神力です。勝てると思ったのでしょうか。
それを知った神功皇后は、喪船を用意して
「ホムダワケはもう亡くなった」
と虚偽の噂を広めさせました。ところがオシクマはその噂を信じず、喪船をやり過ごして兵の乗る船に攻めかかりました。
しかし神功皇后の方が一枚上手でした。喪船の方にこそ軍勢が乗っていたのです。裏の裏というわけです。
宇治川を挟んで戦闘が始まりました。
戦闘のさなか、武内宿禰は武器を捨ててオシクマに和睦を呼びかけます。これを見たオシクマも配下の兵たちに武器を捨てさせました。
しかしこれは武内宿禰の謀略でした。武内宿禰の軍は、捨てたものとは別に武器を用意していたのです。オシクマは逃亡しますが、近江国逢坂(滋賀県大津市)で追いつかれ、琵琶湖に身を投げました。
やはり神話にはずるい戦い方が多いですね。
さて、戦闘終了後、武内宿禰はホムダワケを連れて角鹿(つぬが:福井県敦賀市)へ向かい、そこで戦の禊を行いました。ここで敦賀市が登場することを後々のために覚えておいてください。
