日本人の物語01107【南北朝中期】南北朝中期総括
いつもチャプター名について地味に悩んでます。鎌倉は5つに分けたから初期・前期・中期・後期・末期で済みましたが、南北朝は7つに分けたので最初期・初期・前期・中期・後期・末期・最末期になりました。でもこの言い方ってあまりメジャーじゃないですよね・・・。
正平7(1352)年2月26日から正平15/延文5(1360)年5月28日までを「南北朝中期」としてまとめて来ました。
南朝との争いに決着をつけられないまま、遂に足利尊氏が病没しました。南朝方に常に気を遣ってきた尊氏がいなくなった今、幕府内で南朝との講和に踏み切れる人材は他にいないでしょう。動乱を鎮める手立てが失われたといってよい状況です。
また、初期の室町幕府は常に有力守護たちの反逆に悩まされてきました。この度は山名時氏・師義父子が裏切り、さらに足利一族の分家筋にあたる斯波高経までもが裏切ってしまいました。こうした状況の中、武士からの支持の厚い将軍尊氏がいなくなったわけで、さらなる反逆を惹起するおそれがあります。果たして室町幕府は大丈夫なのでしょうか。
東国情勢は、幕府にとって一応は良い方向に向かっています。武蔵野合戦に辛くも勝利し、新田三兄弟に打撃を与えることができました。さらにその後、新田義興という強大な敵を騙し打ちで葬ったことで、東国は落ち着いたようです。
しかしその東国も、畠山国清という実力者が野心を持ち始めたことによって揺らいでいるように見えます。鎌倉公方として東国を統治するべき基氏はまだ年少で、関東執事・畠山国清の支配から脱却して自ら統治を始めるほどには成熟していないようです。
さらに尊氏を継ぐべき義詮も、まだまだ頼りなげな印象です。総大将として戦を指揮すべき立場にありながら、前線に出ない上、南朝方をギリギリのところまで追いつめておきながら途中で戦を中止してしまうだらしなさです。これでは諸将の支持は得られないでしょう。
おまけに、幕府にとって九州情勢は最悪の展開を迎えています。懐良親王はカリスマ的な魅力で菊池・島津といった有力氏族を次々と味方につけ、幕府にとって数少ない味方である少弐氏はコロコロと立場を変えてどうも信用なりません。そうこうするうちに、筑後川の戦いでは圧倒的に有利だったはずの幕府方が、懐良親王・菊池武光軍に大敗してしまいました。九州はもはや南朝方に落ちたといってよい状況です。
してみると、南北朝動乱は当初の「北朝が圧倒的優勢」といえる状況から、かなり雲行きが怪しくなってきたといえます。その原因は決して南朝が強かったからではなく、あくまで幕府内の指揮系統の乱れであり、将軍尊氏や義詮・基氏のガバナンス不足であり、野心ありありでアクの強い有力守護たちの存在でしょう。武家のカリスマ尊氏の存在で、かろうじてつかまり立ちで立っていた幕府でしたが、ここから更なる混乱をきたし、衰弱していくこととなります。
