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日本人の物語00565【鎌倉前期】曽我兄弟の仇討ち 虎御前の涙*

 仇である工藤は、鎌倉と伊豆を行き来する生活を送っています。十郎は敵の情報を仕入れるため宿を渡り歩いているとき、大磯(神奈川県大磯町)の宿の虎御前(とらごぜん)という遊女と知り合いました。十郎と虎御前は恋に落ち、たちまち親密な仲となりますが、死罪となる覚悟の上で仇討ちという大罪を犯そうとしている十郎の恋は、もちろん悲恋となることが運命付けられています。
 十郎は目的を隠して虎御前から情報を収集します。一度、「工藤が大磯を出て鎌倉に向かい始めた」との情報を得て、十郎・五郎は慌てて追いかけますが、工藤は50騎もの兵に囲まれており、さすがに手が出せませんでした。二人は空しく仇が通り過ぎるのを見過ごすしかありませんでした。
 さて、建久4(1193)年5月、いよいよ最大のチャンスが到来します。頼朝が大々的な巻狩を行うというのです。御家人の多くが参加するので、密かに混じっていても気づかれず、武器を持っていても怪しまれないという最高の環境です。
 十郎は山彦山(神奈川県小田原市)で虎御前と最後の別れをしますが、このとき不覚にも涙を流してしまい、虎御前に不審を抱かせます。虎御前が
「本心を打ち明けてほしい」
と切々と頼むと、十郎は仇討ちに臨む覚悟を打ち明け、これが今生の別れとなることを教えました。二人は涙の別れを遂げ、虎御前は大磯に戻って衣をかぶって泣き通しました。
 遊女たちが
「十郎殿に捨てられたのか」
と声をかけると、虎御前は
「捨てられるは世の常の習い。こたびのことは、それ以上のもの」
と泣き伏しました。
 十郎と虎御前の別れの場には、二人が腰かけたという「忍石」があり、意中の人の名を書いたこよりをこの石に結ぶと、必ず願いが成就するといわれています。
 後に曽我兄弟の物語は歌舞伎となり大人気を博すのですが、虎御前はそのヒロインとして重要な役どころとなります。『吾妻鏡』において、工藤殺害後に曽我十郎の妾として取調べを受けた旨の記述がありますから、ちゃんと実在の人物です。
 なお、茨城県ひたちなか市に曽我十郎・五郎兄弟が隠れ住んだとの伝説がある「十五郎穴」という横穴墓があります。曽我物語がブームになった後で創作された伝説でしょう。
 そしてその十五郎穴のすぐ近くにある古墳は、誰が名付けたのか不明ですが「虎塚古墳」と呼ばれているのです。曽我兄弟からの連想で名付けられたのでしょうが、近世以前から既に虎御前が人気キャラクターだったことを物語っています。

7世紀初頭に作られたと考えられる虎塚古墳。彩色壁画が有名。実物を見られるのは年数回の公開日だけだが、近くにあるひたちなか市埋蔵文化財調査センターが空いていれば、そこでレプリカを見学できる。これもレプリカの写真。2022年4月3日撮影。
虎塚古墳の説明板。2022年4月3日撮影。

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