日本人の物語00180【飛鳥】改新の詔*
新体制になって最初の仕事は、元号の制定でした。唐で使われている元号を、倭国でも導入しようということですね。
最初の元号は「大化」と名づけられました。これが日本最初の元号です。
その後、元号はずっと続いたわけではありません。元号が制定されたり停止されたりして、701年の「大宝」以降やっと安定的に元号が継続するようになりました。
大化元(645)年12月9日。孝徳天皇は難波長柄豊碕宮(なにわながらのとよさきのみや)に遷都しました。飛鳥(奈良県明日香村)から難波(大阪府大阪市)に遷ったというわけです。おそらく遷都を決めたのは孝徳天皇ではなく、実権を握る中大兄皇子でしょう。旧来の豪族の影響力をそぎ落とすため、新天地を求めたのではないかと考えられます。
年が明けて、大化2(646)年正月、政府は「改新の詔」を発表しました。それは、これまでの土地制度と税制を大幅に改革するものでした。
改新の詔について、4つのポイントを見ていきましょう。
第1条:公地公民制
これは、豪族が所有する土地と人民を廃止し、全ての土地と人民を公のものとするものです。言い換えると、豪族の既得権益を否定して天皇に全ての権力を集めるということです。
乙巳の変の前までは豪族の権力が非常に強かったわけですが、蘇我氏を滅ぼすことによって天皇に一気に権力を集中させることが可能となったわけですね。
第2条:行政・軍事・交通制度
これは、諸国を国と郡に分けて、国司と郡司を設置するものです。現在でいうところの県知事や市町村長といったところでしょうか。
あわせて、駅馬・伝馬を設置しました。現在でいうところの郵便局ですね。
さらに、九州を防衛するために防人(さきもり)を設置しました。現在でいうところの陸上自衛隊西部方面区といったところでしょうか。現在に置き換える方が難しいですね。
九州の防衛に力を入れたのは、もちろん唐や朝鮮半島からの侵略に備えるためです。結果的に侵略されることはなかったのですが、大事な政策だと思います。
第3条:班田収受法
戸籍・計帳を作成し、唐の制度をならった「班田収受」を実施しました。班田収受とは、「口分田(くぶんでん)」と呼ばれる田畑を国が国民に貸し付け、そこから得られる作物を税として徴収する仕組みです。ただし、この頃の具体的な税率などについては不明です。
第4条:税制
調(ちょう)と呼ばれる税を徴収しました。これは絹、布など地方の特産品のことです。
以上、改新の詔を見てきましたが、実は日本書紀が伝える「改新の詔」は、後の大宝律令の影響がみられ、後世に創作された部分が多いと考えられるのです。大化の改新後にどんな政治が行われたのか、その実像は今となっては捉えづらいようですね。


