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日本人の物語01111【南北朝後期】仁木討伐 将軍脱出

第1111回です。といってもお祝いするような数字でもありませんが・・・。

 将軍義詮が幽閉され、もはや幕府は全て仁木義長の思い通りに意思決定できる状態となりました。義長は朝廷に申し入れて畠山国清・細川清氏を朝敵とした討伐命令を出してもらい、迎え討つ準備を整えます。
 正平15/延文5(1360)年7月16日。畠山・細川ら率いる守護連合軍が山崎(京都府大山崎町)に集まり、いよいよ京に攻め込みます。細川清氏ら3千騎が西七条口から、畠山国清ら5千騎が東寺口から、それぞれ攻め寄せました。京の人々は南朝との戦いが一段落したと聞いてほっとしていたところなのに、今度は有力守護同士の戦いが勃発したわけで、妻子を連れて家財道具を隠して運ぶなど、京から次々と避難していきました。
 市中への布陣が始まると、その混乱に乗じて佐々木道誉がこっそり将軍御所を訪れました。小門からそっと中に入って、
「一体どうなさったのです。諸国の大名が一人残らず心を合わせて、仁木を滅ぼそうと計画しています。その仁木の肩を持たれるのですか。あの者の振る舞いは神仏からも見放され、人道に背いた者だとお分かりになりませんか。どうか忍んでここを脱出して下さい」
と述べました。
 義詮はもっともだと思い、仁木方の監視の目から逃れるために風邪気味だと言って寝所に入り、そこで紅梅の小袖に柳裏の衣を着て女装し、そっと北の門から逃げていきました。門を出たところで佐々木道誉の手の者が抱き上げて馬に乗せ、連れていきます。このように説得されると判断を変更してしまう性格や、将軍ともあろう者が女装して脱出するという情けない手段を取ったところが、義詮が後世の人から評価されない原因でしょう。
 義長は何も気づかず、義詮の寝所に近づいて
「そろそろ将軍の御旗をお出しいただきたいし、配下の兵たちにご対面もいただきたいところです。お風邪の具合はいかがですか」
と声をかけました。ところが部屋を見てみると、袖が置いてあるだけで誰もいません。義長は激怒して屏風や障子を踏み破り、
「日本一の甲斐性なしを頼みにしてしまったものだ。我々が戦に勝ったら、あの人はどうせまた我々の方に手を擦って出てこられるだろう」
などと悪口を吐き散らしながら、自分の宿舎に帰っていきました。
 将軍義詮が畠山・細川方についたと知ると、仁木方の兵たちは次々と裏切っていき、当初は7千騎いた兵が僅か300騎になってしまいました。義長は当初は
「よいよい、つまらぬ奴らは足手まといになるのだから、逃げてもらって結構」
と余裕を見せていましたが、300騎にまで減ったことを知ると呆然として言葉もなくしてしまいました。

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