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日本人の物語01333【室町/義持期】祈祷を嫌がる僧侶たち

称光天皇は数々の問題を起こしてきた人物ですが、それにしても「この仕打ちは可哀想」と思えるエピソードです。

 応永34(1427)年が明けた直後、称光天皇が再び倒れました。応永32(1425)年7月から1年半ぶりに再び危篤状態となったのです。
 こうした事態においては、洛中の高僧たちを集めて回復を祈るための祈祷を行わせるのが通例なのですが、1月22日に義持が祈祷を主催しようとすると、高僧たちが全く集まらず延期となってしまいました。
 実は1年半前の危篤時にも如意寺満意(にょいじまんい)が祈祷を辞退しており、後小松上皇は
「満意は、(称光天皇が)危篤状態にあることを恐れているのであろう」
と述べたとの記録があります。つまり、万一祈祷中に亡くなってしまったら祈祷の効果がなかったと噂されてしまい、自身の評判を落とすことになるので嫌がっているわけです。
 1月22日に予定されていた祈祷を延期し、1月26日にいざ敢行しようとすると、参加予定だった随心院祐厳(ずいしんいんゆうごん:?~1452)、実相院義運(じっそういんぎうん)、金剛乗院俊尊(こんごうじょういんしゅんそん)、慈尊院興継(じそんいんこうけい)、報恩院隆寛(ほうおんいんりゅうかん)、地蔵院持円(じぞういんじえん)の6人全員が体調不良を理由に欠席する旨連絡してきました。
 このうち金剛乗院俊尊は、祈祷に欠席しておきながら、幕府主催の別の法要に参加していたことが発覚し、これを知った義持は
「2月6日に延期したから、必ず参加するように」
と厳命しました。
 2月6日の祈祷こそは必ず行わねばなりません。朝廷は先に挙げた6人に加え、曼殊院良什(まんじゅいんりょうじゅう:?~1460)、理性院宗観(りしょういんそうかん:?~1447)、大慈院成基(だいじいんせいき)、聖無動院定意(しょうむどういんじょうい)の4人にも声をかけましたが、またまた10人全員が辞退してきました。
 義持は聖無動院定意に働きかけ、どうにか参加を約束させて1人確保できたのですが、その後肝心の称光天皇自身が
「定意は嫌だ」
と駄々をこね始めたので、結局参加者はゼロのまま当日を迎えてしまいました。再びの延期です。
 2月16日になって、曼殊院良什が参加してくれたため、ようやく祈祷が行われました。それも五千疋の報酬でようやく引き受けたといわれています。
 当時、天皇の権威はこの程度だったのかと呆れ返るエピソードですね。

称光天皇が「定意は嫌だ」と言ったのはなぜなのか分かりません。ワガママが過ぎますね。

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