日本人の物語01171【南北朝末期】加賀・能登をめぐる戦い
「石川県野々市市(ののいちし)」とは不思議な地名ですね。「野々市々」と表記したくなってしまいます。
正平24/応安2(1369)年4月28日。越中に出奔していた桃井直常が、居城の松倉城(富山県魚津市)を落とされたため、能登国へと侵入してきました。いわば本拠地を失って能登に逃げ下ったわけですが、その割には戦闘意欲旺盛で、
・金丸城(石川県中能登町)
・能登部城(石川県中能登町)
の周辺まで進出し、幕府方の城を奪おうと死に物狂いで迫ってきました。
この鎮圧に当たったのは、能登守護・吉見氏頼でした。2ヶ月もの戦いを経て、吉見軍は6月29日にどうにか桃井軍を破って城を守り切ることができましたが、桃井軍は若山荘(石川県珠洲市)へと撤退し、なおも粘り続けます。
珠洲市といえば、能登半島の先端です。かくも端に追い詰められても桃井軍はなおも抵抗を続けているのです。
しかも直常の子・直和(ただかず:?~1370)はこのとき、加賀国平岡野(石川県金沢市)まで進出し、加賀守護の富樫氏の軍と戦っています。8月15日、吉見軍は富樫軍を支援するため援軍を派遣して野々市(石川県野々市市)で桃井直和軍と戦い、これを討ち破りました。さらに8月17日には直和軍が立て籠もっていた
・松根城(石川県金沢市)
・一乗寺城(富山県小矢部市)
を陥落させ、22日には
・井口城(富山県南砺市)
をも落とし、桃井軍は次々と撤退を余儀なくされました。
しかし9月29日には、桃井直常は一旦失った松倉城を取り戻し、籠城し始めました。10月22日には吉見軍がこの松倉城を攻めますが、失敗して敗退します。まさに一進一退の攻防です。
12月29日、吉見氏頼は能登国内に唯一残っていた桃井方の城である若山荘の山方城(石川県珠洲市)を陥落させました。こうして、8ヶ月に渡る加賀・能登での戦いはようやく終結し、桃井直常は再び越中に撤退したのです。恐らく海路での撤退でしょう。
なお、今回の直常の反逆については、直常の弟に当たる桃井直信が関わった記録が見当たりません。恐らく越中守護に任命されていた直信には幕府への反逆心はなく、兄と袂を分かったのでしょう。
ただ、弟の協力を得なかったにもかかわらず、加賀守護の富樫氏と能登守護の吉見氏を相手取って半年以上も戦い続けるとは、桃井直常の底力は相当なものです。
