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日本人の物語01473【室町/西国/大乱前夜】政事は三魔より出づ

烏丸(からすま)という地名は関西人なら簡単に読めますが、そうでないと難しいですね。「鳥(とり)」と「烏(からす)」の区別もパッと見ただけでは分かりません。

 享徳4(1455)年の年明け早々の1月6日、都に
「政事は三魔より出づ。御今・有馬・烏丸」
と書かれた落書が出現しました。つまり政治を牛耳っているのは、
・今参局
・有馬持家
・烏丸資任(からすまるすけとう:1417~1483)
という3人の魔物だというのです。
 今参局は既に何度か登場していますが、「御今局(おいまのつぼね)」、略して「御今」とも呼ばれており、義政の乳母だった人物です。何かと政務に口出ししては政権を混乱に陥れたといわれています。
 有馬持家は将軍義政の側近ですが、この落書以外に特段目立った悪評はありません。最近では三魔は持家ではなく、その息子の有馬元家(ありまもといえ:?~1469)のことではないかともいわれています。
 烏丸資任は、7代将軍義勝が伊勢邸で養育されていた頃、その弟の義政を養育していた人物です。番狂わせによって義政が将軍に就任したため、その父代わりだった烏丸資任は不意に将軍側近に上り詰めました。
 なお、この「三魔」の落書について記した史料は、相国寺の瑞渓周鳳(ずいけいしゅうほう)の日記『臥雲日件録』です。この落書の「おいま・ありま・からすま」という語呂合わせについて、瑞渓周鳳は
「烏丸は『からすまる』と読むべきなのに、末尾を落とすとは妙である」
と記しています。確かに烏丸の読みは「からすまる」なのですが、無理やり「からすま」と読んで語呂を合わせたようです。
 そういえば、現在の京都市に「烏丸通り」「四条烏丸」といった地名がありますが、読み方は「からすま」です。いつから「る」が失われたのか不明ですが、もしかすると「政事は三魔より出づ」の語呂がきっかけかもしれません。
 当時の管領は細川勝元でしたし、義政側近には伊勢貞親という実力者もいました。さらに義政の母・日野重子の干渉も大きかったはずなのに、巷で「政治を動かしているのは御今・有馬・烏丸の三人だ」と言われていたとは意外です。というのも、有馬持家や烏丸資任が政治を動かしたとの事実は他の史料からはあまりみられないのです。実際にはもっと多くの義政側近によって動かされているところ、たまたま語呂が合う3人が選ばれただけかもしれません。

こうした落書の内容が歴史として残っているのは面白いですね。最近の例だと「保育園落ちた日本死ね」などがそれに当たるかもしれません。

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