見出し画像

日本人の物語01041【南北朝中期】南北朝中期概観

新チャプターに入ります。
鎌倉時代は初期・前期・中期・後期・末期の5つで済んでいたのですが、南北朝時代は最初期・初期・前期・中期・後期・末期・最末期の7つです。まだまだかかりそうです。

 直義が敗死した正平7(1352)年2月26日から、義詮による南朝討伐に一区切りがつく正平15/延文5(1360)年5月28日までを「南北朝中期」としてまとめます。
 この時代に起こったことを要約すると次のとおりです。
〇観応の擾乱
 直義は死去したものの、直義党は引き続き全国で活動し、幕府を苦しめました。
〇九州情勢
 九州では南朝方の懐良親王が勢いをつけ、菊池氏の力を借りて幕府勢力を打ち破りました。特に「筑後川の戦い」はその白眉といえる戦いです。
〇畿内情勢
 「正平の一統」はいとも簡単に反故にされ、勢いを得た南朝が京を占領しますが、長続きしませんでした。その後は有力守護が次々と幕府を裏切って南朝方につき、京は3回も南朝方の手に渡るのですが、いずれも簡単に北朝に奪回されます。
 これまで「第三次京都合戦」までを取り上げてきましたが、この章では第四次~第六次京都合戦が起こります。いずれも南朝が勝利し、京都を短期間ながら占領することとなります。更にその後には「第七次京都合戦」が控えています。
 「南北朝時代」とあたかも南朝と北朝が対等であるかのような表現がなされていますが、その実態はこれまで述べてきたとおり、北朝が全国を支配していて南朝が吉野を中心にいくつかの拠点をもって反乱を起こしているというだけでした。ところがこの頃になると、南朝は3度(その後も含めると計4度)に渡って京都を占領するなど大いに勢い付くのです。
 また、九州では「日本三大合戦」の一つである筑後川の戦い(大保原の戦い)が起こります。川中島、関ヶ原と並ぶ日本三大合戦の一つなのに、ほとんど知られていないこの戦いについても詳しく取り上げていきます。
 さらに、この時期に南北朝動乱の一方の主役である足利尊氏が遂に病没します。これ以降は、3代将軍足利義満の登場までの間、しばらくヒーロー不在の時代が続きます。
 それにしても、南北朝時代とはなんと知られざる時代なのか、書いていて溜め息が出てきます。知られているのは最初期の後醍醐天皇崩御くらいまでで、その後は足利義詮も筑後川の戦いも楠木正儀も懐良親王も、歴史好きの間でさえほとんど話題に上ることはありません。戦国時代と同じくらいに全国が混乱し戦乱に明け暮れていた時代なので、もっと人気が出てもおかしくないと思うのですが。
 複数の勢力が入り乱れてますます混乱を極め、出口の見えない南北朝時代をもうしばらく語らせてください。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集