日本人の物語01430【三山】統一事業始まる
尚巴志は戦闘指揮官としても政治家としてもかなり優秀な人物だったようです。
尚巴志の最初の戦いは、南山王国の有力按司であった大里按司の打倒です。大里(うふざと:沖縄県南城市)は佐敷のすぐ隣にある領地ですが、明らかに佐敷よりも格上でした。というのも、南山王国の初代国王・承察度は大里按司から国王に上り詰め、大里から南山城(沖縄県糸満市)へ移った人物なのです。この時点での大里按司が誰だったかは不明ですが、恐らく南山城にいる国王・他魯毎とも縁続きの人物だったはずです。
建文4(1402)年。尚巴志は大里城を急襲し、これを壊滅させました。これまでほとんど知られていなかった新興勢力に過ぎない一領主が、島内でも有数の按司を壊滅させたわけですから、これは本州でいうところの桶狭間の戦いにも匹敵する一大事件でした。尚巴志はこれ以降、大里城に拠点を移します。
この知らせを南山国王・他魯毎がどう受け止めたのかは記録されていませんが、常識的に考えると他魯毎は相当に尚巴志を警戒したはずです。にもかかわらず、両者は20年以上も武力衝突を起こしていません。他魯毎が暗君だったという伝説はいかにも創作っぽいですが、自領の内部でかくも大規模な内紛(捉えようによっては反逆)が起きたのに、これを放置するとは本当に暗君だったのかもしれません。
尚巴志と南山国王の関係については、こんな伝説が残っています。尚巴志は金製の豪華な屏風を持っていましたが、南山国王がそれを所望すると、尚巴志は
「嘉手志川(かでしがー)の利用権と引き換えなら、やってもよい」
と答えました。
嘉手志川は南山王国に住む者にとって貴重な水源であるにもかかわらず、南山国王は愚かにもこの取引に応じてしまいます。これ以後、南山王国の国力は衰えた上に、国王は国民からの支持を失ったというのです。
このエピソードの時期も、またこの愚かな南山国王が何代目なのかも不明です。文献によってはこの愚かな為政者は南山国王ではなく大里按司だという説もあるのですが、いずれにせよ、南山王国の愚かな為政者に対して尚巴志は取引をもちかけ、上手く権益を手にしたというわけです。尚巴志は他魯毎の身内である大里按司を葬ったにもかかわらず、立ち回りが上手かったために、南山王国自体を敵に回すことなく済んだのでしょうか。
勢いに乗った尚巴志は、永楽4(1406)年には中山王・武寧の拠点である浦添城(沖縄県浦添市)を陥落させ、父の尚思紹を中山王の位に就けました。武寧は多くの部下に裏切られた結果、浦添城を明け渡して落ち延びました。その後の行方は分かっていません。
こうして尚巴志は三山の中で最強の勢力だった中山王国を掌握しました。残るは北山と南山です。
私は高校時代、尚巴志は最初から中山王だったのだと勘違いしていました。本稿を書くためにいろいろ勉強して、一領主に過ぎなかったことを知って驚きました。
