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日本人の物語00307【平安中期】藤原師輔の権勢

 藤原忠平の子たちの中では、次男・師輔が順調に昇進し、長男・実頼をしのぐようになりました。
 天暦6(952)年。師輔の娘に当たる中宮安子が2人目の子を産み、為平親王(ためひらしんのう:952~1010)と名付けられました。安子の父・師輔の立場はますます安泰になったといってよいでしょう。
 しかしここで、師輔に時ならぬスキャンダルが起こります。天暦8(954)年。醍醐天皇の第16皇女で、村上天皇の同母姉である康子内親王(やすこないしんのう:919~957)が、藤原師輔と懇ろになっているとの噂が広まったのです。
 天皇の姉が臣下と男女の仲になるというのは異常な事態です。しかし村上天皇は、実力者である師輔を表立って非難することができなかったようです。
 このスキャンダルに関連して、こんなエピソードが残っています。
 ある日、執務中に雷が鳴り、村上天皇が公卿たちに四の宮(康子内親王の邸宅)への避難を呼びかけました。ところが、藤原実頼が「宮様の御前が汚れているので行きません」と述べたというのです。康子内親王にふしだらな噂があるから行かないということです。こんなことを天皇に言い放つとは、ひどく無礼な話ですね。実頼の権勢と、実頼・師輔兄弟仲の険悪さを窺わせるエピソードです。
 ところが、師輔はこのスキャンダルを物ともしませんでした。なんと師輔は、正式に康子内親王と結婚することでスキャンダルをねじ伏せたのです。天皇の同母姉が臣下に嫁ぐのは前代未聞のことでしたが、結婚したとあってはもはや誰も批判できません。
 天徳3(959)年3月2日。中宮安子がさらに守平親王(もりひらしんのう:後の円融天皇:959~991)を産みました。安子の産んだ男子はこれで3人となります。
・憲平親王(後の冷泉天皇)
・為平親王
・守平親王(後の円融天皇)
 中宮安子は嫉妬深く、美人で有名な女御・藤原芳子(ふじわらのよしこ:?~967)の姿を見ると、壁の穴から土器片を投げて嫌がらせをしたとのエピソードがあります。
 ちなみにこの藤原芳子というのは藤原忠平の孫娘で、才色兼備で有名な女御です。ある日村上天皇が、藤原芳子が古今和歌集を全て暗記していると聞き、テストしてみたところ本当に全て暗唱したというエピソードがあります。
 後の時代の話ですが、藤原定子が一条天皇にこのエピソードを話すと、一条天皇は
「自分なら三巻四巻くらいで確認するのを終えてしまうだろう」
と、むしろ最後まで確認をした村上天皇を褒めたたえたそうです。「そっちかよ」とつっこみたくなりますね。

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