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日本人の物語01340【室町/義持期】義持期総括

義持期についてまとめ終わって、「改めて見るとこんなにキャラが立つ人物だったとは」と驚いています。アクの強すぎる3代義満と6代義教の間に挟まれていまいち知名度が落ちるのですが、かなり風変わりな人物でしたね。

 4代将軍義持の時代を見てきました。
 義持の治世の前半を見ると、天皇や公家を尊重する気持ちを持っていたように見えますし、諸大名に対して強気に出たり喧嘩を仕掛けたりすることもなく、融和的な態度を見せていました。義持の政治手法は、父義満のそれとは大きく異なるといえます。
 しかしそのような態度が鎌倉公方持氏を大いに増長させてしまったのかもしれません。上杉禅秀の乱が発生したとき、幕府は禅秀方について持氏を滅ぼすか、持氏方について禅秀を滅ぼすか困難な選択を強いられますが、義持自身はそこで強いリーダーシップを示さず、叔父・満詮の決断によって幕府は持氏に味方することが決したのでした。
 禅秀の乱収束後、持氏は幕府の命をものともせず、残党狩りに勤しむようになります。幕府はようやく、これまでの宥和政策が持氏という怪物を生み出したことに気づき、急ぎ鎮圧を図るわけですが、ここでも京都御扶持衆を援護するばかりで、直接討伐軍を派遣しないなど、ぐずぐずしています。
 治世の後半になると、義持は徐々に独裁者の風格を現してきます。挨拶に来た関白・一条経嗣に理不尽な怒りをぶつけたり、赤松満祐の領国継承に干渉したり、やっていることはまるで義満と同じです。
 しかし義満と違って義持の独裁は徹底されていません。関白には恫喝を加えたものの、後小松上皇・称光天皇に対しては強気に出るどころか、父子の確執に巻き込まれ双方を行き来しながら仲介役を演じさせられているのです。また、赤松満祐の領国継承を阻止しようとしたものの、結局管領たちの反対に遭って断念しています。
 赤松家への干渉に失敗したことで、義持はやや投げやりになったように見えます。最後の最後に、後継者を自ら定めることをせず管領以下で話し合うよう命じたことは、独裁者になり切れなかったことを自嘲した義持による丸投げではないかとも捉えられるのです。
 一方、「くじ引きは義持の意志決定権の弱さを象徴するエピソードではない」とする意見もあります。なぜなら義持は満済に、後継を定めない理由について「石清水八幡宮のお告げを信じているから」と述べているのです。
 確かに義持の信仰心は異常なものです。寺院や僧への厳格すぎる規制も、義持の信仰に起因するものでした。もしかすると義持は最後まで「お告げがある以上男子を残さずして自分が死ぬことはない」と思い込んでいたかもしれません。
 しかし結果的には、石清水八幡宮のくじには何の御利益もありませんでした。義持には男子が出来なかった上、くじが選んだ次期将軍はとんでもない気性の持ち主だったのです。

私は高校生の頃まで、毎年お正月には家族で石清水八幡宮に行っておみくじを引いていたのですが、石清水八幡宮は
・「義持に実子が産まれる」とのお告げを出したが実際には産まれなかった
・くじ引きでよりによって最悪の人物を選んでしまった
という「前科」があり、御利益は期待できないですね。当たるも八卦、当たらぬも八卦です。

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