日本人の物語01439【第一尚氏】護佐丸・阿麻和利の乱 讒言
そういえば沖縄県には「沖縄市」という市があるんですね。栃木県栃木市もそうですが、なぜ県庁所在地にならなかったのか疑問ですね。
志魯・布里の乱という大きな戦乱を経て国王に即位した尚泰久は、低下する王府の権威を取り戻さなければなりませんでした。そのために行ったことは、有力按司との縁戚関係を構築することでした。
尚泰久は即位以前は「越来王子(ごえくおうじ)」と呼ばれ、越来(沖縄県沖縄市)を治めていました。越来は護佐丸のいた座喜味城からも程近く、その縁で護佐丸の娘を正室に迎え、三男一女をもうけていたのです。
尚泰久は即位後、その長女である百度踏揚(ももとふみあがり)を阿麻和利に嫁がせました。つまり尚泰久は
・中城按司の護佐丸が妻の父
・勝連按司の阿麻和利が娘の夫
となることで、政権を盤石にしたかったのでしょう。また、尚泰久は百度踏揚を嫁入りさせるに当たって、越来時代からの側近である鬼大城(うにうふぐしく:?~1469)を付き人として派遣しています。鬼大城は元々、喜屋武城(きゃんぐすく:沖縄県うるま市)の城主一族に産まれましたが、幼くして父を亡くし、越来王子・尚泰久に仕えるようになった人物でした。
ところが、この同盟は破綻しました。天順2(1458)年、阿麻和利が尚泰久に対して
「護佐丸が謀反を準備している」
と訴えてきたのです。これが「護佐丸・阿麻和利の乱」の始まりです。
琉球王国の正史『球陽』によると、阿麻和利は「才覚はあっても徳がなく、欲深い人物」であり、前々から王を殺して国を乗っ取ろうと考えていたといいます。その企みを護佐丸に見抜かれたため、まずは反乱を起こす前に邪魔な護佐丸を葬ろうとして、根も葉もない讒言をしたとのことです。
尚泰久は驚いて、中城に密偵を放ちます。この密偵は、中城の中で厳重に武装されている兵たちを見て、
「反乱の準備をしていることは間違いありません」
と報告し、かくして護佐丸討伐軍が派遣されることとなりました。討伐軍の大将は阿麻和利です。
王府軍が攻めてきたのを見た護佐丸は、一切抵抗せず潔く自害しました。阿麻和利は最も邪魔な護佐丸をいとも簡単に葬ることに成功したわけで、次なるターゲットは首里城の国王・尚泰久です。
しかし、阿麻和利の陰謀は露見しました。阿麻和利が家臣たちと、首里城への先制攻撃について相談していたのを、鬼大城が聞いてしまうのです。
何だかドラマチック過ぎるので、「後世の創作っぽいなあ」と思ってしまいます。
