日本人の物語01091【南北朝中期】新田義興謀殺 矢口の渡し
謀殺するにしても、もっと楽な方法があると思うのですが、わざわざ舟を出して穴をあけて、ずいぶん面倒な方法をとるものですね。
結局竹澤右京亮は、
「我々の兵だけではとても義興を討てないだろう」
と判断し、畠山国清に助力を仰ぎます。国清が派遣してくれたのは、江戸高良(えどたかよし)という人物でした。
国清は江戸高良と打ち合わせた芝居として、江戸が所有する土地に代官を派遣して領主を追い出してしまいます。江戸は大いに怒ったふりをして、
「かくなる上は、畠山殿に向かって一矢射て、討ち死にしようではないか」
と気勢を上げました。
正平13/延文3(1358)年10月10日。江戸高良は竹澤右京亮を介して、義興に
「畠山殿を討つに当たり、しかるべき大将を戴かなくては軍勢に勢いが付きません。何卒お力を貸してください」
と訴えました。念には念を入れた芝居でしたから、義興はコロリと騙されてしまいます。
竹澤と江戸は、
「大勢で行くと目立つので、少しずつ少人数で鎌倉に向かいましょう」
と言って、義興の軍勢を分散させていました。義興は言われるがまま、兵力を分散して僅か13人で移動してしまいます。そして薦められるまま、多摩川を渡るため矢口の渡し(東京都大田区)から舟に乗りました。しかしその舟の底には2ヶ所の穴があけられていた上、渡しの向こう岸には武装した兵が300騎待ち構え、逆にこちら岸には竹澤配下の150人が矢を用意して控えていました。
舟が川の中程にさしかかったとき、渡し守はうっかり落としたふりをして櫂を川に投げ入れ、穴をふさいでいた栓を取って舟を沈め始めました。そうして自分は川に飛び込み、さっさと泳いで逃げ去ったのです。
両岸からどっと鬨の声が上がり、義興はようやく騙されたことに気づきました。もはや逃げ場はありません。義興は
「日本一の不道人どもに騙されてしまったとは。七度でも生まれ変わって、この恨みを晴らしてやるぞ」
と叫んで刀を抜き、腹をかき回すように斬って絶命しました。義興に仕えていた12名も次々と切腹し、かくして新田義貞の三人の子のうち、長男義顕に続き次男義興も討たれてしまったのでした。
