日本人の物語01219【南北朝最末期】小山若犬丸の乱
鎌倉五山は多分全部回ったことがあるんですが、京都五山の方はほとんど回れていません。家から遠いですからなかなか・・・。
元中3/至徳3(1386)年2月。義満は主要な禅宗寺院である「京都五山」の順位を確定させました。南禅寺を別格として「五山之上」と置き、
1 天龍寺(京都市右京区)
2 相国寺(京都市上京区)
3 建仁寺(京都市東山区)
4 東福寺(京都市東山区)
5 万寿寺(京都市東山区)
と決まりました。同じ頃に鎌倉五山についても
1 建長寺(鎌倉市山ノ内)
2 円覚寺(鎌倉市山ノ内)
3 寿福寺(鎌倉市扇ヶ谷)
4 浄智寺(鎌倉市山ノ内)
5 浄妙寺(鎌倉市浄明寺)
と確定したようですが、その時期はよく分かっていません。
義満が自ら建てた相国寺よりも、祖父尊氏が建てた天龍寺を上に置いているのは当然ですが、この15年後の応永8(1401)年3月5日、義満は相国寺を第一位に昇らせ、祖父を超えてみせました。ただし義満死後の応永17(1410)年2月28日に、相国寺は元通りの第二位に戻されています。義満の不遜さが際立ちますね。
そして元中3/至徳3(1386)年5月27日には再び小山氏の反乱が始まります。小山義政の遺児・若犬丸が挙兵し、祇園城(栃木県小山市)を奪還したのです。鎌倉公方氏満はさっそく鎮圧軍を送り込みました。
6月18日。古枝山(栃木県栃木市岩舟町)の合戦で、若犬丸が下野守護代・木戸元連(きどもとつら)の軍勢を破りました。反乱軍が優勢です。
氏満は自ら鎮圧すべく7月2日に古河に着陣し、7月10日には塔本(栃木県小山市)で合戦し、若犬丸を打ち破りました。氏満は怒涛の勢いで祇園城に攻めかかり、7月12日にこれを陥落させました。ところが若犬丸は城から辛くも脱出し、姿を消します。
氏満はその後、古河に留まって若犬丸の捜索を指揮しました。若犬丸は全く見つからず、11月になって氏満はようやく諦め、鎌倉に戻っています。
姿を消した若犬丸がどこへ行ったのか謎ですが、これ以降鎌倉府は何度も若犬丸の影に悩まされることとなるのです。
