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日本人の物語01536【室町/西国/応仁の乱】応仁の乱概観

応仁の乱は10年半続くので、説明するのに1チャプターまるまるかかります。

 本章では西国に話を戻して、応仁の乱をまとめていきます。
 応仁の乱は、応仁元(1467)年5月26日の「上京の戦い」から文明9(1477)年11月20日までの10年半に渡って続いた戦いです。ただし文正2(1467)年1月18日未明に始まった前哨戦たる「上御霊社の戦い」を応仁の乱に含める考え方もあり、だとすると10年10ヶ月の戦いとなります。
 応仁の乱はかくも長期に渡る戦いだったので、細かく見ていくと大小あわせて162もの合戦があります。詳細が伝わっていないものも多く、一つ一つを取り上げていくことはできません。ただ、重要な戦いをピックアップすると
・上御霊社の戦い: 文正2(1467)年1月18日
・上京の戦い: 応仁元(1467)年5月26日
・三宝院の戦い: 応仁元(1467)年9月1日
・東岩倉の戦い: 応仁元(1467)年9月18日
・相国寺合戦: 応仁元(1467)年10月3日
・伏見稲荷の戦い:応仁2(1468)年3月21日
・船岡山の戦い: 応仁2(1468)年9月3日
・第一次西岡の戦い: 応仁2(1468)年9月
・第二次西岡の戦い: 応仁2(1468)年10月10日
・第三次西岡の戦い: 応仁3(1469)年4月10日
・醍醐寺合戦: 文明2(1470)年7月
といったところしょうか。
 見ての通り、京やその周辺での主要な合戦は最初の4年間に集中しています。特に、
・山名宗全死去: 文明5(1473)年3月18日
・細川勝元死去: 文明5(1473)年5月11日
と、東軍西軍の中心人物がほぼ同時期に死去した後は徐々に厭戦気分が高まり、洛中では両軍の小競り合いが起こる程度になりました。その代わり、戦乱は京から地方へと飛び火していきます。
 多くの守護や守護代が登場し、同じ一族内でも敵味方に分かれ、さらに寝返りが続出するあまりに複雑な戦乱ですが、分かりやすく解説していきたいと思います。よろしくお付き合い願います。

「162の合戦がある」と物の本に書いてあったのですが、一体誰が数えたんでしょうね。

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