日本人の物語00514【平安末期】壇ノ浦の戦い 義経の禁じ手
壇ノ浦での海上戦は、当初は平家方が有利に進めていましたが、15時を境に海流が変わり、源氏方が徐々に逆転していきます。波の流れに乗った源氏方は、平家の舟に次々と乗り移って刀を使った斬り合いを繰り広げました。平家方は巧みな操船技術で源氏方の攻撃をかわそうとします。
ここで義経は驚異の作戦に打って出ました。「漕ぎ手を射よ」と命じたのです。
当時、海上戦において舟の漕ぎ手は非戦闘員とみなされていました。武士ではない地元の漁師などが雇われているケースが多く、命を懸けてまで主に仕えようとは考えていない者が多かったのです。
その事情は源氏方・平家方に共通していました。お互いに「漕ぎ手は非戦闘員であるから攻撃の対象にしない」という暗黙のルールがあり、それゆえに漕ぎ手は安心して武士に雇用されることができたわけです。
ところが、義経はそうした暗黙のルールをよく理解していなかったのか、はたまた勝てばどうでもよいと思っていたのか、禁じ手であるはずの「漕ぎ手を射る」という命令を下してしまったのです。
これは当時の常識に照らしてひどく卑怯な方法であったと思いますが、「義経は勝つための最良の方法をすぐに理解して実行する合理主義者であった」と前向きに評価する向きもあります。
平家方の舟は次々と漕ぎ手を失い、漂流し始めました。そこに乗り移った源氏方の兵が斬り込みます。平家方はあっという間に大苦戦に陥りました。
総大将・平知盛は、味方の苦境を棟梁である兄・宗盛たちに報告に行きます。平家の女房たちが知盛にすがるように、
「戦況はどうなのですか」
と尋ねると、知盛は
「めづらしきあづま男をこそ御覧ぜられ候はんずらめ」
(間もなく珍しい東国武士をご覧いただくことができますよ)
と答えました。女房たちは
「まあ、こんなときに冗談はやめてください」
と騒いだといいます。
いよいよ平家滅亡のときが近づいています。
2026年6月27日追記。
義経が「漕ぎ手を射よ」と命じたのは昭和時代に生まれたデマだそうで、実際には平家物語に「(非戦闘員である)漕ぎ手が死んだ」との記述があるだけで、それが義経の指示であるかどうかも分からない書き方だそうです。
もう少し調べてから、本文を書き直そうと思います。
