日本人の物語00057【弥生】江上波夫と古田武彦
昭和42(1967)年。江上波夫(えがみなみお:1906~2002)が「騎馬民族征服説」を提唱し、話題となりました。
『魏志倭人伝』には「倭国に牛馬はいなかった」との記述があります。しかし古墳時代には、馬をモデルにした埴輪が多く作られています。弥生時代には馬がおらず、古墳時代にはいたということになります。そのことから江上は、
「つまり弥生時代の日本人と古墳時代の日本人は別の民族なのだ。弥生時代の終わり頃、大陸から騎馬民族が渡来して来て日本を征服したのだろう」
と主張したのです。これを「騎馬民族征服説」といいます。
しかし、魏の使者は倭国を隅々まで見て回ったわけではありません。使者の歩いた道程にたまたま牛馬がいなかっただけではないかとも思われます。あまり多くの学者が首肯する説ではありません。(邪馬台国の位置をめぐる論争とは直接の関係はないのですが、弥生時代研究をめぐる有名な説なのでここで紹介しました。)
次いで昭和46(1971)年。古田武彦(ふるたたけひこ:1926~2015)が「邪馬台国はなかった」を出版し、物議をかもします。
『魏志倭人伝』の原文には「邪馬壹国」と書かれています。「壹」とは現代の字で言うところの「壱」に当たります。研究者たちは、これを「臺」つまり現代の字で言うところの「台」の書き誤りだろうと見ています。一方、古田武彦は、「原文通り邪馬壹国(やまいちこく)と読むべきだ。邪馬台国(やまたいこく)などという国は存在しない」と主張したのです。古田は、「邪馬台国と呼ぶのは、『邪馬台』を『やまと』とも読めるようにしたいという近畿論者の陰謀だ」とすら述べています。つまり古田は九州派なのですね。
しかし、古田の主張はどうも過激なところがあるのです。
例えば、『魏志倭人伝』には次のような記述があります。
邪馬台国から東の海を渡って1000余里のところに国があり(その国の名は記されていません)、さらにその南には侏儒国(しゅじゅのくに=小人の国)があり、その南東に「船行一年」すれば、「裸国」と「黒歯国」があるというのです。何とも荒唐無稽な話ですね。
古田は、この船行一年で行けるという「裸国」と「黒歯国」が南米エクアドルを意味するなどと、とんでもない説を述べています。さすがに無視して良いトンデモ説だと思われます。船行一年というのはもはや「船行」ではなくただの「漂流」ですよね。そりゃまあ、この時代にも漂流して南米に生きて辿り着いた人がいるかもしれませんが、記録に残るということはその人が倭国に帰国しなければならないわけで、さすがにそれはないだろうと思います。
推測ですが、倭国の人々の間で語り継がれる伝説を聞いた魏の使者が、それをそのまま記録にしたためたのでしょう。しかし、船行一年などという話を信じる使者もどうかしていると思います。
