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日本人の物語01544【室町/西国/応仁の乱】巻き添え被害

『コラテラルダメージ』という映画がありましたね。戦争は民間人の被害なしに完結できる訳がないのです。

 上京の戦いで炎上した主な建物を挙げておきましょう。
 なお、細川家は領国が増えすぎたため、管領を務める京兆家を筆頭として、「典厩家」「野州家」「讃州家」「備中守護家」「淡路守護家」などに分かれることとなりました。京兆家の当主が細川勝元ですが、それ以外の細川の分家も時々登場します。
【東軍方】
細川勝久邸: 細川勝久は備中守護家に属し、当主勝元の要請で東軍についたところ、真っ先に西軍に狙われた不運な人物といえます。
細川教春邸: 細川教春(ほそかわのりはる)は野州家に属し、東軍です。勝久と同様に居宅がやや洛中の西側に位置していたために狙われました。
細川成春邸: 細川成春(しげはる:1433~1485)は淡路守護家に属し、同様の事情で焼き討ちされました。
【西軍方】
一色義直邸: 東軍に最初に焼かれた邸宅です。
山名成清邸: 山名成清(やまなしげきよ)は備前守護を務めた人物で、西軍です。これまた洛中の東寄りに位置していたため狙われました。
【その他】
知恩寺、行願寺、窪寺、誓願寺、成菩提寺、冷泉政為邸など。
 冷泉家は冷泉為尹(れいぜいためまさ:1361~1417)の死後に分裂し、
・長男の為之(ためゆき)が上冷泉家
・次男の持為(もちため:1401~1454)が下冷泉家
と呼ばれていました。6代将軍義教が下冷泉家を贔屓したせいで下冷泉家の方が繁栄していましたが、持為の子の冷泉政為(れいぜいまさため:1446~1523)の邸宅がこの戦で焼かれてしまったのです。たまたま延焼したのか、はたまた義政と仲の良い下冷泉家を西軍が狙い撃ちしたのかは不明です。いずれにせよ、応仁の乱によって下冷泉家は勢いを失い、上冷泉家が繁栄するようになります。
 大規模な戦乱が始まって不安に駆られた義政でしたが、頼りになる側近はいません。宿老筆頭たる細川勝元(東軍)も管領斯波義廉(西軍)も戦乱の当事者であり、弟・義視にも政治経験はありません。そこで義政は、文正の政変で失脚したかつての腹心・伊勢貞親を呼び戻すことを決めました。伊勢に下っていた貞親は義政の誘いを受けてさっそく上洛しましたが、将軍御所には参上せず、洛中に居住して義政と手紙のやり取りを行うにとどめました。
 義政のこの行動は応仁の乱にますます混乱を来たすこととなるのですが、その影響が生じるのは翌年のことです。

伊勢貞親の失脚によって細川VS山名という対立構造が出来上がったんですよね。その貞親が帰ってくるとなると、さてどうなるのでしょう。

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