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日本人の物語00089【神代】諏訪大社と縄文文化*

 さて、タケミカヅチに敗れたタケミナカタは、諏訪に逃亡するわけですが、ここで古事記には載っていない諏訪地方に伝わる伝説を紹介します。
 タケミナカタがやって来るまで、諏訪地方はモレヤという神が治めていました。モレヤはタケミナカタの侵入を阻もうとして戦いになりますが、長い戦いの末、モレヤが敗北します。タケミナカタはモレヤを滅ぼそうとはせず、家来として召し抱えることにしました。
 タケミナカタは諏訪大社で祀られることになりますが、その祭主は代々「神長官(じんちょうかん)」と呼ばれ、守矢氏が務めています。守矢氏はモレヤの末裔といわれ、現在は守矢早苗(もりやさなえ:1945~)さんが第78代当主となっています。つまり、敗北した側が、勝利した側を祀る役割を担ったというわけですね。出雲大社とは逆の構図です。
 このモレヤとタケミナカタの対決は、縄文人と弥生人の対決を意味しているのではないか、という驚きの説が提唱されています。敗北したモレヤこそが縄文人の代表で、勝利したタケミナカタこそが弥生人の代表ではないかというのです。
 モレヤが縄文人であったという説の根拠は、次のようなものです。
 諏訪大社で7年に1回行われる「御柱祭(おんばしらさい)」という奇祭があります。樹齢200年の巨木を斬り、「御柱」として祀るものです。また、蛙、鹿、猪などを串刺しにしたものを供えるという奇妙な伝統を持っています。
 この動物を串刺しにして神に供えるという風習は、アイヌにもあります。
 この諏訪文化とアイヌ文化の奇妙な共通点こそが、モレヤ=縄文人説の根拠です。
 実は、大陸から稲作が伝来し、弥生文化が縄文文化を飲み込んでいったとき、なかなか弥生文化が浸透しなかったのが諏訪地方でした。弥生文化は諏訪をすっ飛ばして先に東北地方に伝わったのです。そして、弥生文化が最後まで到達しなかった場所が北海道です。つまり、日本列島の中で諏訪と北海道だけが、縄文文化を長く体現していた場所なのです。そのことから、動物を串刺しにして神に供えるのは、縄文の風習ではないかと考えられています。
 諏訪地方は長い間弥生文化の受け入れを拒んでいましたが、最終的に飲み込まれることになります。このとき、諏訪では従来から諏訪に住んでいた縄文人と、後から侵入してきた弥生人の争いがあったのではないかと思われます。この戦いこそが、モレヤとタケミナカタの戦いではないでしょうか。
 つまり、モレヤ(縄文側)はタケミナカタ(弥生側)に敗れ、タケミナカタを祀る神官の役割を任命されたのですが、その際、モレヤ側の伝統文化を全て否定されたわけではなく、いくつかの風習を残すことを許されたわけです。その風習こそが御柱祭だというのです。
 まだ確立された学説ではありませんが、なかなか興味深いですね。出雲大社についても同じことが言えるのですが、日本では、敗北者側を完全に滅亡させるのではなく、宗教も伝統も取り込んで部分的に存続させることが多いようです。出雲大社の「二礼四拍手一礼」や諏訪大社の「御柱祭」がそのことを物語っているといえます。

長野県茅野市の神長官守矢資料館。諏訪大社を守って来た守矢氏の資料が展示されている。ちなみにこの建物の設計は藤森照信。2024年11月24日撮影。
資料館の中。諏訪の祭りで供えられてきた獲物の串刺し(レプリカ)。2024年11月24日撮影。

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