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日本人の物語00616【鎌倉前期】異例の昇進

 確かに、実朝の昇進は極めて速いものでした。
 「官位」とは、職務を表す「官職」と階級を表す「位階」を総称した概念です。まずは実朝の官職の昇進を見てみると、
・建仁3(1203)年10月24日: 右兵衛佐
・元久2(1205)年1月29日: 右近衛権中将、加賀介
・承元3(1209)年5月26日: 右近衛中将
・建保4(1216)年6月20日: 権中納言
となっており、実に異例の昇進といってよい勢いです。
 一方、位階を見ますと、
・建仁3(1203)年に従五位下
・元久2(1205)年に従五位上
・建永元(1206)年に従四位下
・承元元(1207)年に従四位上
・承元2(1208)年に正四位下
・承元3(1209)年に従三位
・建暦元(1211)年に正三位
・建保元(1213)年に正二位
と、階段を駆け上がるように1~2年に1回の昇叙が行われています。
 建保4(1216)年9月20日に、大江広元は
「任官が早すぎるのではありませんか」
と実朝に苦言を呈しました。しかし実朝は
「広元の言うことは分かるが、源氏は私の代でどうせ途絶える。子孫が継承することはないのだから、官職を帯びて家名を後世まで残したいのだ」
と答え、広元は黙り込んでしまいました。
 実朝はまだ24歳ですから、これから子が産まれることもあり得るでしょうに、なぜかくも老け込んでしまったのでしょうか。子が産まれないほど病弱だったのか、あるいは間もなく殺されることを予期していたのでしょうか。
 ちなみに大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、実朝がゲイであったという新たな解釈を施しています。「どうせ途絶える」という投げやりな独白をどう解釈するのか、様々な想像があり得ると思います。

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