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日本人の物語01472【室町/西国/大乱前夜】分一徳政令

この「分一徳政令」は大河ドラマ『花の乱』では日野富子の発案ということになっていました。

 この時期、中世経済史に重要な影響を与えた「分一徳政令」が初めて発布されました。ここで解説しておきましょう。
 正長の土一揆以来、民衆が徳政令を求める一揆が頻発しており、幕府はその対応に追われていました。徳政令を出すと、酒屋・土倉といった金融業者の懐が痛み、それはすなわち商業が衰弱することにつながり税収減となってしまうため、幕府は常に徳政令の発布には慎重でした。
 そして享徳3(1454)年9月に「享徳の土一揆」が起こりました。この土一揆に対して幕府は「徳政禁制」を発布しました。つまり借金の契約を実力で帳消しにすることを禁止し、借りた金はしっかり返しなさいというわけです。徳政令は決して出さないぞという強い意志が感じられます。
 ところが一揆の勢いは強まるばかりで、幕府は政策の転換を迫られました。そこで10月になると幕府は、
「一定期間内に債権者(土倉・酒屋)が債権額の一割を幕府に納めれば、債権は保護されて絶対に帳消しにはならない」
という法令を出しました。
 この債権額の一割を「分一銭」と呼び、この法令は「分一徳政令」と呼ばれました。金を出した土倉・酒屋だけは徳政令から助けるぞというわけです。
 しかし、せっかく出したこの法令はあまり使われず、分一銭を納める者はほとんどいませんでした。そして翌年に幕府は新たな法令を発布します。それは
「一定期間内に債務者が債務額の一割を手数料として幕府に納めれば、債務を破棄できる」
というものでした。現代にたとえていうなら、政府に一定の金額を納めれば自己破産できるというわけです。
 つまり債務者が自己破産できる一方で、債権者たる土倉・酒屋も相手の自己破産という手段を奪うためにあらかじめ手を打てるわけです。それも一定期間内だけの特権ですから、誰も彼もが急いで幕府に分一銭を支払い、債務を破棄したり債権を保護したりすることに必死になりました。
 いやはや、どちらに転んでも幕府が儲かるという悪魔的な手法をよくぞ思いついたものです。残念ながら誰の発案かは知られていませんが、幕府財政は大きく持ち直したといわれています。
 これ以降、幕府は金に困ると分一徳政令を乱発するようになります。

まさに「悪魔的」な発想だと思います。

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