日本人の物語01240【室町/義満期】室町の職制 四職*
四職は山名、京極、赤松、一色の4家ですが、受験生のための覚え方は「京の山は赤一色」だそうです。
三管領に次ぐ「四識(ししき)」とは、侍所所司を務めた山名・京極・赤松・一色の四つの家を指します。侍所は軍事召集・指揮を統括する役所ですから、その長官たる所司は全国の兵に呼びかける権限を有していました。
〇山名家
新田家の庶流で、上野国多胡郡山名郷(群馬県高崎市山名町)を領地とした一族です。山名時氏・師義父子が一時幕府を裏切り南朝方となりましたが、その後幕府に帰参しました。さらに明徳の乱では山名氏清・満幸が討伐されたものの、山名時熙が武功を挙げたことから幕府内で重用され、時熙の子・山名宗全(持豊)の時代に全盛を迎えます。
しかし戦国時代に没落し、江戸時代は幕臣として過ごすこととなります。
〇京極家
源頼朝が初めて挙兵した際に参加した佐々木四兄弟(00461回参照)を祖先とする一族です。その佐々木家は鎌倉中期に、京極高辻の館を継いだ「京極家」と六角東洞院の館を継いだ「六角家」に分かれました。有名な佐々木道誉は京極家の方に属します。
室町時代末期には最後の将軍足利義昭の擁立に参画し、織田信長に引き立てられ繁栄を極めます。江戸時代には四つの家が丸亀藩(香川県丸亀市)、多度津藩(香川県多度津町)、豊岡藩(兵庫県豊岡市)、峰山藩(京都府京丹後市)の藩主として栄えます。
〇赤松家
鎌倉末期に赤松円心が後醍醐天皇に味方したことから一挙に歴史の表舞台に駆け上がった一族で、その拠点は白旗城(兵庫県上郡町)です。円心の子・則祐は南朝方に寝返った時期もあったものの、その後北朝方に戻って幕府のために尽力しました。則祐の孫・満祐の時代に6代将軍義教を暗殺するという大事件を起こして討伐を受け、没落しますが、満祐の弟の孫に当たる赤松政則が幕府に尽力して家を復興させます。
しかし戦国時代を乗り切れず、家は断絶することになります。
〇一色家
足利家の庶流で、三河国一色(愛知県西尾市一色町)を領地とする一族です。多々良浜の戦いの後、九州制圧のため尊氏が一色範氏を置いて帰ったことから、九州の三つ巴の争いの一角をなすこととなりました(00865回参照)。その後、範氏の子の範光が若狭守護に就任し、応安2/正平24(1369)年に若狭国人たちの起こした一揆を鎮圧したことでさらに評価されました。さらに範光の子の詮範も明徳の乱で功績を挙げたことから、詮範の子の満範が丹後守護となり、有力守護としての道を駆け上っていきます。
しかし戦国時代に細川氏の攻撃を受け、滅亡することになります。

