日本人の物語01270【室町/義満期】准母問題 関白の絶望
一条経嗣がかわいそうで、「かつて自分も似たような目に遭わされたなあ」と思って感情移入してしまいます。
一条経嗣は遂に義満の持っている「正解」を自らの発案という形で述べます。
経嗣「天子が即位期間中に二度も諒闇があるとは、誠に不吉です。過去の例をあれこれ勘案した上で、准母を立てるのがよろしいかと存じます。しかし崇賢門院(仲子)は天子の祖母に当たられ、准母の趣旨に合わないかと存じます。他の女性を選ぶべきでしょう」
義満「では誰がよかろうか」
経嗣「恐れながら、南御所様(康子)をもって准三后の宣下を賜り、その上で准母となされるのがよろしいと存じます。まずは尊号の御沙汰が下るべきでしょう。以上のことはあくまで私の発案に過ぎませんが、お考えください」
義満「なるほど。その案についてはよく考えてみることにしよう。今日はご苦労だった」
義満は上機嫌で奥に下がったといいます。まるで全てを自分の掌で転がしているかのようです。「よく考えてみる」などと言っていますが、しめしめというのが本音でしょう。
このやり取りの直後、国母厳子が逝去したとの連絡が入りました。
一条経嗣は自己嫌悪に打ちひしがれながら自宅に戻ったらしく、日記に
「愚身、偏へに以て諂諛(てんゆ)を先となす。ああ悲しい哉悲しい哉」
(私はひたすら媚びへつらうことばかりしている。ああ悲しいことだ)
とやり場のないみじめさを書き付けました。
その日のうちに康子は准三后かつ後小松天皇の准母に立てられ、義満は天皇の父代わりのような位置付けとなりました。義満はかくして天皇を超えた存在となり、後には我が子・義嗣に親王宣下を与えて皇太子に立て、天皇位を継がせようとしたとの説もあります(後述)。
近年はさらに新説が登場しています。小川剛生氏の著書『足利義満』(中公新書)などで唱えられている説ですが、簡単にまとめると、義満の謎かけの答えは、
①康子を准三后とすること
②康子を准母に立てること
に加えて、
③義満自身に太上天皇(上皇)の尊号を与えること
も含まれていたという説です。つまり義満は生きているうちに上皇の号を狙い、裏松重光や一条経嗣はそれを阻止したというのです。
その根拠は、経嗣の日記の中にあるというのです。詳しく見ていきましょう。
