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日本人の物語00111【人代前期】11代垂仁天皇

 日本書紀によると、崇神天皇は崇神天皇68(B.C.30)年12月5日に118歳で崩御しました。一方、古事記では享年168歳とされています。古事記と日本書紀、同時期に作った歴史書ですからちゃんと合わせてほしいですよね。
 垂仁天皇元(B.C.29)年1月2日。子の垂仁天皇が即位します。垂仁天皇は玉垣宮(奈良県桜井市)に住み、いとこのサホビメ(狭穂姫)を皇后としました。このサホビメが少女漫画か昼ドラに出てくるような悲劇のヒロインとなるのです。
 皇后サホビメの兄はサホビコ(狭穂彦)といいます。垂仁天皇4(B.C.26)年9月23日、サホビコは垂仁天皇が留守の間にサホビメに会いに行き、
「兄と夫のいずれが愛しいか」
と尋ねました。サホビメが
「兄を愛しく思います」
と答えると、
「ならば2人で天下をとろう。夫の寝首をかくのだ」
と言って、小刀を渡して来ました。謀反に協力しろというのです。
 サホビメは夫を殺すべきか否か、長期間に渡って悩んでいたようです。サホビメがようやく兄の命令を履行しようとするのは、なんと1年後のことでした。
 垂仁天皇5(B.C.25)年10月1日。サホビメは兄に言われたとおり、膝枕で寝ている垂仁天皇を斬ろうと試みます。しかしどうしても斬ることができず、落ちた涙が顔に当たって垂仁天皇は目を覚ましてしまいました。
 何も知らない垂仁天皇は、
「私は不思議な夢を見た。佐保の方から大雨がやって来て私の顔を濡らしたのだ。一体何の暗示だろうか」
と言います。佐保とはサホビコが本拠としている場所のことで、現在の奈良県奈良市佐保台に当たります。
 これを聞いたサホビメは耐えられなくなり、涙ながらに事情を語りました。それを聞いた垂仁天皇は、怒りに震え直ちにサホビコ討伐の軍を起こします。
 計画が失敗し、反乱計画を知られてしまったサホビコは、城を建てて戦いに備えます。するとサホビメは、なんと兄を哀れに思って天皇方から抜け出し、兄の城へと逃亡してしまうのです。

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