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日本人の物語01290【室町/義持期】寺院の取締り

最近、ちょくちょく戦国時代の史跡を見に行って撮影しているんですが、きれいに写真フォルダを整理しておかなければなりませんね。本稿でいざ戦国時代を取り上げてアップロードしようとしても、その写真がどこに行ったか分からなくなりそうです。

 前述のとおり義持は直義ばりの厳しい性格で、不法行為に毅然と立ち向かいました。
 それを象徴するのが応永21(1414)年10月4日の興福寺の僧兵たち(六方衆と呼ばれます)に対する11ヶ条の叱責状でしょう。義持は彼らの不法行為を箇条書きで11点突きつけ、「以後はこのような行為を行わないことを誓う改悛の起請文を出せ」と命じました。
 その11ヶ条の不法行為とは次のとおりです。
・罪もなく気に入らないという理由で他人の住居を壊すこと
・謀略をめぐらし、興福寺周辺の土民を悩ませ、金銭を巻き上げること
・建物の造営費用を無理やり徴収すること
・権威を振りかざして証文の作成を強要して利権を奪うこと
・仏門の身でありながら武勇を好み刀を使って刃傷に及ぶこと
・悪行を企て一揆を結成すること
・幕府の裁可を不服としてこれに違背すること
・非道な取り立てを行う際に神人・公人らに譴責(けんせき)させること
・幕府の審理によらずに勝手な裁判を行い、錯乱を起こすこと
・東大寺の領地を侵犯し、住宅を破壊すること
・興福寺に属す土民を私的な従者のように扱い、金銭徴収や人身売買を行うこと
 いやはや、興福寺の僧兵らがいかにひどい人たちだったかが分かります。これほどの非道な行為が、これまでは興福寺の権威を傘に見過ごされてきたのでしょうが、真面目な義持は捨て置けなかったのでしょう。
 六方衆の多くは慌てて起請文を提出し、拒絶した者は越後や佐渡に流罪となりました。
 少々時間を先に飛ばすこととなりますがついでに述べてしまうと、応永23(1416)年6月1日に、義持は自ら相国寺に乗り込んで捜索を実施し、隠していた武具を押収しました。元々、鎌倉時代から寺院の武具携帯は禁止されていたはずでしたが、ほとんど守られていなかったのです。
 これに伴い数十人が逮捕され一色義貫(いっしきよしつら:1400~1440)に身柄を預けられました。さらに6月19日には一色義貫が相国寺を捜索して乱行・魚食の罪で45人が一斉に逮捕され、拷問の上流罪となりました。
 室町幕府といえば寺社を厚く保護したイメージがありますし、義持は歴代将軍の中でも信仰心が特に篤い人物です。ところが義持はその信仰心の篤さゆえに寺院への取締りを強化していたのです。

室町時代を書いていると、よく出てくる氏(山名とか赤松とか一色とか)がなぜか戦国時代にはほとんど活躍していません。どこかの段階で滅んだのでしょうが、それがいつどのようにしてなのか、自分でも着目しながら続きを書いております。

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