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日本人の物語01600【室町/西国/応仁の乱】乱の影響 秩序崩壊

応仁の乱の影響、という日本史の教科書に載ってそうな話ではありますが、本稿にまとめたのは私の独自の意見です。

 前回に続き、応仁の乱の影響について述べていきます。
②守護在京原則の崩壊
 乱の影響の2点目は、「守護が京に滞在する」という原則が崩れたことです。
 これまで、守護は京で将軍に仕え、その守護が各国を統治していました。しかし応仁の乱を機に各国の守護代が独自の動きを見せ始めたため、守護たちは京を離れて領国で直接統治しなければならなくなりました。つまり将軍と守護の結び付きが弱まったのです。
 平安時代と室町時代前半の日本は「京都一強」の時代であり、全ての政治的・軍事的事項は京都で決定されていました。ところが守護が各地に散らばったことで、それぞれ独自の政治的・軍事的行動をとるようになります。中央による統制がなくなったのです。
③家格崩壊
 3点目は、家格という秩序が(完全にというわけではありませんが)崩壊したことです。これまでは、守護になれる家系となれない家系とが決まっており、家格の壁を超えて出世することは困難でした。しかし、
・越前守護斯波家に対して越前守護代朝倉家
・美濃守護土岐家に対して美濃守護代斎藤家
・出雲守護京極家に対して出雲守護代尼子家
など、守護よりも存在感のある守護代が登場し、これらがやがて戦国大名として成長していきます。
 戦国期に下剋上が次々と行われる土壌は応仁の乱の中で生まれたのです。
④国人の成長
 応仁の乱で実働部隊として戦ったのは、守護でも守護代でもなく「国人」でした。国人とは、京から派遣された役人ではなく現地で生まれ育った領主であり、守護が在京して応仁の乱で疲弊している間に現地でめきめきと力をつけていきました。尋尊は「各国とも年貢が京に入ってこない」と嘆いていますが、各国の年貢は現地にいる守護代が独占したり、ひどいときは守護代にすら納められず国人たちが独占したりしていたのです。
 この後、戦国大名が各国を席巻していきますが、有名な戦国大名の出自をまとめてみると、守護だけでなく、守護代と国人の躍進が相当なものだったことが分かります。
・守護出身: 武田、今川、大内、大友、島津
・守護代出身: 長尾(上杉)、朝倉、織田、尼子
・国人出身: 松平(徳川)、毛利、長宗我部、龍造寺
 以上4点述べてきましたが、これらの秩序崩壊が戦国時代の到来を招いたのです。西国にあっては応仁の乱、東国にあっては享徳の乱が、それぞれ戦国時代の始まり又はきっかけと言って差し支えないでしょう。

享徳の乱は教科書に太字で載っても良い事件だと思いますが、今は注釈欄に小さく載っているだけですね。

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