日本人の物語01662【室町/西国/六角征伐】長享改元
「六角征伐」というチャプタータイトルで良かったのかなあ、と今更ながら思えてきました。しかしより良いタイトルも思いつきません。
文明19(1487)年7月20日。朝廷で「長享」への改元が決定されました。例によって戦乱に伴う縁起担ぎです。
ところがこの新元号は、朝廷ではさっそく使われ始めたものの、幕府内ではしばらく使われませんでした。その理由について、将軍側近の二階堂政行(にかいどうまさゆき)は次のとおり述べています。
「内裏では『長享』という新元号を用いているようなので、武家においても管領による手続が済めばこれを用いるようにします。よって、管領が出仕するまでの間は引き続き『文明』を用います」
つまり改元は朝廷で行うべきものですが、その後幕府で「改元吉書」という行事を行うことになっており、それが済まないと新元号を使ってはいけないというのです。
「改元吉書」というのは吉日を選んで行われる儀式で、改元について書かれた儀礼的文書を管領が将軍に見せ、将軍が
「朝廷からの文書を謹んでお受けし、幕府においても新元号を用いることとする」
との意思決定を行うものです。
しかし管領という役職はあまりに忙しい割に旨味が少ないということで、誰もやりたがらなくなりました。この改元時も管領が不在で「改元吉書」を開催できなかったのです。
細川政元はやむなく急遽管領に就任し、8月9日に改元吉書を行いました。そして儀式が終わるや否や、政元は管領を辞任してしまいました。儀式のためだけの就任だったのですね。
そういうわけで、7月20日から8月9日までの20日間ほど、朝廷では「長享」、幕府では「文明」が用いられており、ズレがあります。幕府は改元吉書ができないうちは生真面目に「文明」を使い続けたというわけです。
幕府が朝廷の改元を受け付けなかったという点で、この珍事件は朝廷の権威の失墜と受け止められるかもしれません。しかし一方で幕府は、やりたくもない1日だけの管領着任という離れ業までやって、改元吉書を執り行っています。無理をしてでも「長享」を使い始めようとする意志があるとも評価できます。
恐らく幕府には、「朝廷の改元を受け入れないことでその権威を貶めよう」との意図はなかったのでしょう。彼らは単に「改元吉書を行わなければ新元号は使えない」という先例に忠実なだけなのです。言わば幕府首脳部もまた、公家と同様に先例重視の文化に支配されていた証左かもしれません。
今のところ大化から全ての元号を紹介できています。もうこれ以降飛ばしてしまう元号は多分ないでしょう。
