日本人の物語00212【奈良】長屋王の変 後日談
この「長屋王の変」については、他ならぬ政府の公式歴史書である続日本紀に、驚くべき記述があります。
事件の9年後である天平10(738)年7月10日に、同僚である中臣東人と大友子虫(おおとものこむし)が囲碁を打っていました。その途中、話が長屋王のことに及ぶと、かっとした大友子虫が中臣東人を殺害したというのです。
大友子虫は昔、長屋王に仕えていたことがありました。つまり中臣東人は自分にとって主人が殺されるきっかけを作った仇敵だったというわけです。役人同士で、隣りの部署で勤務していたことから、仕方なく仲良くしていたものの、囲碁を打っている最中に長屋王の話題となり、中臣東人がまたそこで長屋王に対して侮辱的な発言をしたので、我慢ならなくなったのでしょう。遂に復讐を果たしたというわけです。
続日本紀はここで、
「中臣東人は長屋王を誣告(ぶこく)した人物である」
と記載しています。
「誣告」とは無実の者を陥れるという意味ですから、なんと他ならぬ日本政府の編纂した公式歴史書において長屋王の無実が明らかとなっているのです。
続日本紀を編纂したのは菅野真道(すがののまみち:741~814)という藤原出身でない公家でしたから、藤原氏への対抗心から、長屋王の無実をしっかり書き留めておきたいと思ったのかもしれません。
さて、長屋王の邸宅はどこにあったのか、長らく謎とされていましたが、戦後になってから遂にその邸宅跡が奈良市内で発見されました。1980年代にデパート「奈良そごう」を建設するための事前調査で、そこが長屋王邸宅跡であったことが判明したのです。
歴史学者たちは更に詳細な発掘調査が必要であるとして、建設工事を延期するよう嘆願しましたが、そごうは反対意見を押し切って工事を開始し、平成元(1989)年に奈良そごうは開業しました。
ところがその後まもなくバブルが崩壊し、平成12(2000)年にはそごうは倒産し、奈良そごうも閉店に追い込まれてしまうのです。僅か11年間の営業のために、1300年前の遺跡が失われてしまったのですね。何とも残念な出来事でした。
なお、この跡地には平成15(2003)年にイトーヨーカドーが開業しています。現在、イトーヨーカドー前には「長屋王邸宅跡」を示す看板が掲げられています。
