日本人の物語01683【幕間】多数ある異説
ただの愚痴みたい回です。こんなことで一回使って申し訳ないです。
戦国時代の稿を書いていて難しいのは、
・人物の諱が複数伝わっており、研究者によって呼び名が異なること
・史料が断片的であり、そこから推理される因果関係が研究者によって大きく異なること
でしょう。研究者の専門書を読んでいても、同じ時代の同じ武将たちの動向を追いかけているはずなのに、まるで異なる話が描かれているのです。
例えば織田信長の弟で、信長と対立した挙句殺された人物がいますが、この人物は研究者によって織田「信行」「信勝」「信成」などと幾通りもの表記がなされています。なぜこうなるのかというと、
・江戸時代に作成された織田家の系図では「信行」とされているが、戦国時代の発給文書には「信行」の名はない。
・発給文書を確認すると、「信勝」→「達成」→「信成」と名を変えたことが分かる。
ことから、歴史小説などでは「信行」として有名になった一方、プロの研究者は「信勝」「達成」「信成」などと呼称するわけです。信成というと現代のフィギュアスケート選手と同名になってしまうので、本稿では「信行」で統一するつもりです。
この織田信行と同じような事情を有する武将がたくさんおり、土岐頼武についても「頼武」「政頼」「盛頼」などの呼称があります。
また、研究者によって異なる因果関係が述べられているのも困りものです。というのも、当時の書状は年号を省略することが多く、例えば
①3月7日に武将Aと武将Bが戦った
②9月1日に武将Aが武将Cに娘を嫁がせた
といった記録がある場合、年号が分からないため前後関係が分からず、どう解釈すべきか実に悩ましいのです。
ある研究者は①→②との前後関係を想像し、
「AはBと険悪になり3月7日に合戦を行ったが決着がつかなかった。その後Aは、Bとの戦いを有利に進めるべく9月1日に婚姻を結んでCを味方につけた」
と解釈しますし、別の研究者は②→①との前後関係を想像し、
「9月1日にAがCとの婚姻同盟を組んだ。かねてよりCと険悪だったBは、この婚姻をAからの宣戦布告と受け止めたため、翌年3月7日の合戦につながった」
と解釈します。
このように複数の解釈が入り乱れて様々な説が論文として発表され、それらの論文を元に様々な専門書が執筆されるため、読んでいて「前に聞いたことと違う!」と混乱するのです。本稿では、とりあえず私が「最も説得力があるな」と考える説を採用することとします。
この連載を書くために数百冊の本を読んでいますが、本ごとに異なる「史実」が描かれているケースが多いです。
