日本人の物語00804【鎌倉末期】東勝寺合戦*
横山重真がやすやすとやられてしまったのを見た新田軍の庄為久(しょうためひさ:?~1333)が高重に組みかかっていきます。しかし高重は
「不足な敵を殺す方法を見せてやる」
と言って、庄為久をあっという間に持ち上げて放り投げました。庄為久の体は遠く飛んで行き、それに当たった武者二人は落馬して血を吐いて死んでしまいます。まさに怪力です。
そこにやって来た高重の郎党が、
「殿、こんなところで何をしているのですか。間もなく高時様が自害されるところですよ」
と声をかけ、高重は高時を待たせていることを思い出しました。高重は、
「敵が逃げていくのがあまりに面白いものだから、高時様との約束を忘れてしまっていた。いざ帰るぞ」
と言って、東勝寺へと引き返していきました。
これら高重の活躍を見ていると「これほどの強さを誇る高重が健在なのであれば、そのまま新田義貞の首を取れたかもしれないのに」と思ってしまいますが、太平記は主君と運命を共にする武士の美学を描きたいのでしょう。
最後の戦いで高重が斬った兵の数は何と500人といわれています。東勝寺に戻って来た時点で、高重は23本もの矢を受けていました。
高重を出迎えた祖父・円喜が
「かくも長い間、何をしていたのだ。戦況はどうだ」
と尋ねると、高重は
「新田義貞の大将首を狙いましたが、近づくことができませんでした。取るに足らぬ者どもを500人ほどは斬って捨ててまいりました」
と答えます。この答えに、間もなく最期を迎える幕閣の一同も少し心が慰められたような思いになったといいます。
それから高重は、
「では自害の見本をお見せいたしましょう」
と言って、見事腹を掻っ切って果てました。
そこから金沢貞顕、常葉範貞、安達時顕といった幕府の重鎮たちが次々と自刃して行きました。得宗として幕府を象徴する存在だった北条高時も、その得宗を傀儡にして権力を振るった長崎円喜・高資父子も、皆自害して行きました。もはや戦いというより集団自決ですが、この出来事を「東勝寺合戦」といいます。

