日本人の物語01115【南北朝後期】仁木義長の悪行
いま下書き作業は16世紀初頭に差し掛かっています。15世紀後半の東国にも苦しめられましたが、16世紀前半は日本全国全てややこしく、なかなか抜け出せない迷宮のようです。
仁木義長のこれまでの悪行とは、具体的にどういうものなのでしょう。
太平記は既に、義長がいかにして細川清氏・土岐頼康・六角氏頼と確執を生んできたかを述べていますが、それ以外にも多くの悪行があったようです。具体的に見ていきましょう。
〇少しでも自分の意に添わないときは、相手を殺してよいと思っている。
〇たまたま気分が乗ったときには、特段の忠義のない者に褒美を与えるが、気が変わったらすぐに取り消す。
〇7ヶ国もの所領をいただいておきながら、なおも不足と感じている。
いやはや、相当ひどい人間のようです。南朝の廷臣たちの中には、
「そもそも多年の恩顧を忘れて義詮に背くような者だから、帝のために深く忠義を感じるはずがない。忠臣でも知恵ある者でもなく、神仏に棄てられ、人望に背いて自滅するであろう悪人を味方にされたことが、どうして帝のご運の助けになろうか。まったく虎を養って自ら問題を招き寄せるようなものだ」
と噂し合ったといいます。
ところが、廷臣の中にはこんな意見もありました。
「仁木が悪人なのはそのとおりだが、並の人とも思えないところがある。彼は鶴岡八幡宮で稚児を斬り殺して神殿に血を注ぎ、八幡(石清水八幡宮)では神官を殺して裁判沙汰にもなった。世の普通の人がこれほどの悪業をしたら、しばらく安穏ではいられないだろう。彼があそこまで悪行をして何も問題なく過ごしていられるのは、神の加護があるからではないか」
なんと、仁木義長には神の加護がついているというのです。その根拠として、その廷臣はこんなエピソードを語り始めました。
「義長は伊勢国を所領としていただいた際、前々から公家も武家も決して手を付けなかった伊勢神宮の所領を奪い取った。宮司らが京に上って訴えたが、義長はこれを恨みに思って、(神宮内を流れる)五十鈴川をせき止めて魚を捕り、聖域である神路山に入って鷹狩りをした。宮司らは『では神罰を下してもらおう』といって呪詛をした。呪詛を始めて7日目、神が降臨して『義長は前世において善行を積み重ねた者だ。前世での善行が現世に報い、現世での悪行は来世に報いるであろう』とおっしゃった。そう考えると、義長という人間は悪人ではあるが、並の人間ではない」
何とも無茶苦茶な理論ですが、そういうわけで仁木義長は現世では報いを受けることなく生涯を全うするだろうというのです。南朝の廷臣たちは決して納得したわけではないものの、
「とにかく天下第一の悪人だ」
と口々に言ったのでした。
