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日本人の物語00324【平安中期】清少納言 香炉峰の雪

 離婚後の清少納言は藤原定子に仕えることとなります。このとき女房名として与えられた名が「清少納言」でした。「清」は清原の姓から、「少納言」は父の役職名から採ったものでしょう。本名は「清原○子」といった名前でしょうが、不明です。
 初出仕のとき、清少納言は推定28歳。定子は推定18歳でした。
 枕草子第184段「宮にはじめてまいりたるころ」には、清少納言が中宮定子のもとに初めて出仕したときの興奮が語られています。慣れないことにおろおろするばかりの新参者の姿が描かれていますが、気恥ずかしさの中にも宮中で働けることの喜びをかみしめている様子が見て取れます。
 その後の定子サロンでの清少納言の縦横無尽の活躍ぶりは枕草子に多く記録されており、特に第284段「雪のいと高う降りたるを」は有名です。
 ある雪が積もった日、中宮定子が
「少納言。香炉峰の雪はいかならん」
と呼びかけました。香炉峰というのは唐にある山の名前です。一同が首をかしげる中で、清少納言はすぐに人に命じて簾を上げさせ外の景色を定子に見せたところ、定子は我が意を得たりとばかり、にっこり笑ったといいます。
 定子は
「香炉峰の雪は簾を掲げて見る」
という唐の白居易(はくきょい:772~846)の漢詩があるのを知っていて、清少納言に「簾を上げてほしい」というのを謎かけで与えたのです。
 周りの女房たちは、
「この宮の人には、さべきなめり」(中宮さまに仕えるには、こうでなくては)
と述べ、清少納言は
「この謎かけを理解できたのは自分だけだった」
と得意気に記しています。
 清少納言といえば、とにかく「気が強くて知識をひけらかしたがる女性」というイメージがありますね。枕草子を読んでいると確かに、
「他の女房たちは分からなかったことを私は知っていた」
「ある人が知識もないくせにしゃしゃり出てきたので、やりこめてやった」
みたいな鼻につく手柄話が多く見受けられます。紫式部が日記の中で
「いとてづつにあさましくはべり」(バカなふりをしていた)
と書いているのといかにも対照的です。

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