日本人の物語01606【室町/東国/長尾景春の乱】道灌の知恵
道灌がどれだけ人気のある人物かがよく分かります。
後世の創作の可能性が高いですが、太田道灌の伝説の話を続けましょう。
あるとき、道灌の家臣の中に罪を犯したため誅殺しなければならない者が7名いました。その7人は屋敷に立て籠もって抵抗しており、どうやって討ち取るか皆で頭を悩ませていました。
すると道灌は、家臣の1人を指名して
「そなた一人で討ち取ってくるように」
と命じました。1人で7人を討てとは無理難題と思われますが、道灌には妙案がありました。それは、道灌の使者が
「7人の中に1人だけ助けてやるべき者がいる。誤ってその者を討ち取らぬように」
と、屋敷の中の7人にわざと聞こえるように大声で指示を出すというものでした。
いざ家臣がたった1人で屋敷の中に討ち入ると、7人は抵抗するものの、もしや自分が助かるはずの1人かもしれないと考え、太刀筋に身が入りません。そうこうするうちに7人とも討ち取られてしまったのです。
他にもこんな話があります。道灌が上洛して将軍義政に謁見したときのことです。
義政は猿を飼っており、その猿は見知らぬ者を見ると必ず引っ搔いて傷をつけるのでした。そこで道灌はあらかじめ猿回しの芸人に金を払って猿を借り、猿が飛びかかってくると鞭で打つようにして躾を施しました。
いざ謁見の当日、義政は道灌が猿をつないだ通路を通るよう仕向け、その様子を観察していましたが、猿は道灌を見るやいなや地にひれ伏してしまいました。義政は
「これは尋常の者ではない」
と道灌を恐れるようになったとのことです。
また道灌は築城の名人として知られていました。松山城(埼玉県吉見町)を築いたとき、道灌は
「この城の欠点を教えてくれた者には、褒美をやる」
との書を門に掲げました。
すると、やってきた旅人が城壁に植えてある松の木に目をつけて
「松は風を含み、絶え間なく風の音を生む。音を隠して忍び込むのに便利であるから松を植えるべきではない」
と言って去っていきました。これを聞いた道灌は驚いて、褒美をやるため旅人を追わせましたが、遂に見つからなかったといいます。
いずれも道灌の恐るべき洞察力や知恵を物語るエピソードですね。
松山城というのは東松山市にあるものとばかり思っていましたが、調べたら吉見町でした。
