日本人の物語00516【平安末期】壇ノ浦の戦い 教経の最期
平家一門の公達は、死を覚悟して次々と入水していきます。
清盛の弟にあたる経盛と教盛(のりもり:1128~1185)も、そして亡き重盛の次男・資盛や四男・有盛(ありもり:1164~1185)も入水しました。
一方、平家の棟梁である平宗盛とその嫡男の清宗(きよむね:1170~1185)は、ひどく臆病でなかなか入水できませんでした。これを情けなく思った平家方の兵が、やむなく二人を海に突き落とします。
しかし二人は重い物を身につけていなかったので、当然に体は浮上してきます。このとき、宗盛は
「息子が沈むようなら私も沈んで死のう。息子が助かるなら私も生きよう」
と考え、一方の清宗も
「父が沈むようなら私も沈んで死のう。父が助かるなら私も生きよう」
と全く同じことを考えていたといいます。似たもの父子なんですね。人間らしいとは思いますが、武門の棟梁としてあまりに覚悟の足りない人物だと思います。
大物二人がまだ死ねずに浮いているのを見た伊勢三郎義盛は、これを引き上げました。二人はその後鎌倉まで連行され、裁きにかけられることとなります。
平家一門のうち、最後まで圧倒的な戦闘力を見せつけたのが「能登殿」こと平教経でした。教経は近づく者を全て斬り、源氏方を圧倒します。
教経は大将軍である義経を倒せば形勢は逆転すると考え、義経一人の命を狙い、舟から舟へと次々に乗り移って義経に近づきましたが、義経は驚異的な跳躍力を生かし、あっという間に遠くの舟まで飛び移ってしまいます。八艘の舟に飛び移ったことから「八艘飛び(やそうとび)」と語り継がれています。現在壇ノ浦には、この八艘飛びをする義経像が設置されています。
教経は義経に逃げられ悔しがりますが、
「最後に私と戦う者はいないか」
と叫び、対戦相手を探します。皆が怖がっている中、剛腕で知られる安芸太郎・次郎(あきたろう・じろう)という兄弟が名乗りを上げ、二人がかりで教経を斬ろうと組みかかっていきました。
しかし教経の怪力は二人の力をはるかに超えていました。教経は太郎を左手の脇に、次郎を右手の脇にそれぞれ抱え、
「死の道連れにしてやる」
とそのまま海に飛び込みました。こうして、平家方の最強戦士たる教経もまた、海の藻屑と消えたのです。
