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日本人の物語01607【室町/東国/長尾景春の乱】恐るべき計画

扇谷上杉定正が初登場です。「南総里見八犬伝」の主要登場人物で、滝沢秀明主演の「里見八犬伝」では大杉漣が演じていました。

 成氏軍と上杉軍の戦いは膠着し、直接戦う機会はひどく減っていましたが、長尾景信死去を受けて成氏方は大いなるチャンスと思ったのでしょう。成氏は久しぶりに敵陣を直接叩くよう命令し、文明5/享徳22(1473)年11月24日、古河公方軍が上杉方の五十子の陣を襲撃しました。
 長らく合戦を経験していなかった上杉方はすっかり油断していたらしく、ひどい打撃を受けました。この戦いで扇谷上杉政真が24歳の若さで戦死し、扇谷上杉家当主の座は叔父の定正(さだまさ:1443?~1494)が継ぐこととなりました。
 それから再び合戦は途絶えました。2年後の文明7/享徳24(1475)年になっても、上杉軍は相変わらず五十子の陣でダラダラと過ごしています。
 これ以降の太田道灌の行動については、道灌自身が文明12(1480)年11月28日付けで山内上杉家家臣の高瀬民部少輔に宛てた書状『太田道灌状』で詳しく描かれています。前述のとおり、道灌の自己評価の高さをよく表している書状です。
 その書状によると、家宰職を逃した長尾景春が不満を募らせていると聞いた道灌は、長尾家内の対立を仲介しようと考え、江戸城を出て五十子の陣へと向かいました。
 道灌の動向を知った長尾景春は、道中で休憩していた道灌を訪問し、とんでもない計画を打ち明けます。主君・山内上杉顕定とその兄・越後上杉定昌を討とうというのです。
 景春から
「あなたが五十子に参陣してしまうと、その段取りが難しくなるため、行かないでほしい」
と言われた道灌でしたが、景春への協力を拒否してそのまま五十子へと向かいました。そして顕定に景春の計画を説明し、対処すべきと説いたのですが、顕定は本気で取り合ってくれません。まさか古河公方軍と戦っているさなかに、上杉家中で反逆を起こす者がいるとは信じがたかったのでしょう。
 道灌は次に、長尾忠景・太田道真に会ってこう述べました。
「景春は元より統治する能力がなく、その家臣の中から狼藉者が大勢現れています。このまま放置すると大変なことになります。早く退治すべきです」
 しかし忠景も全く相手にせず、父・道真は
「そんなことを思いつきで述べるべきではない」
と怒り始めました。
 結局、上杉方は景春の反乱計画を早い段階で知ったにもかかわらず、誰もそれを本気にせず対処もしなかったのです。道灌が上杉家上層部の無能ぶりを嘆くのも、無理からぬことと思います。

反乱計画を全く信じてもらえないわけですが、「景春ごときがそんな大それたことを仕出かす訳がない」と思っていたのでしょうね。

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