日本人の物語01009【南北朝前期】第三次京都合戦 高経離反
「第三次世界大戦」がⅩのトレンドに入るなど、もしかして第三次世界大戦が始まるのかと注目されている中で、私はなぜか第三次京都合戦の話をしております・・・。ちなみに第七次まであります。
さて、義詮が京を脱出する直前、斯波高経という大物家臣が直義党に寝返ってしまいました。斯波高経といえば、越前国で新田義貞を相手にずっと戦っていた北朝方の武将でしたね。こんな大物が尊氏・義詮を裏切るとは驚きですが、その経緯について太平記は次のように記しています。
斯波高経が新田義貞を討ったとき、義貞は「鬼丸」「鬼切」という名刀を持っていました。これを聞いた尊氏は
「これらの名刀は、源氏の末流などが持つべき物ではない。すぐに引き渡すように。当家の宝として足利本家が相伝していく」
と述べたのを、高経は恨みに思って、
「この二振りの太刀は、火事で焼けてしまいました」
といって、同じ長さの太刀を焼いたのを提出したのです。このことが露見したため、尊氏はひどく怒って高経への恩賞を減らしてしまいます。
そもそもこの鬼丸という刀は、初代執権・北条時政の所持していたものでした。時政が夜な夜な枕元に立つ鬼に悩まされていたところ、ある日夢の中で刀が老人に身を変えて現れ、
「私があの妖怪を退治してやろう。まずは刀の錆を拭いなされ」
と言います。言われたとおりに錆を拭って、それを立てかけて就寝したところ、なんと夜中に現れた鬼に対してその刀がひとりでに動いて首を斬ったというのです。時政はこの刀を「鬼丸」と名付けて北条家に伝わる重宝として大事に保存しました。
それから年月が経ち、最後の得宗・北条高時が鎌倉東勝寺で自害した時、その遺体のそばに「鬼丸」があったことから、新田義貞がこれを秘蔵することとなったわけです。
また、もう一本の鬼切というのは、元は源頼光の所持する名刀でした。大江山の鬼を退治するに当たり、渡辺綱が主君・頼光からいただいて、鬼を斬るのに使った刀です(00351回参照)。これをなぜ新田義貞が所持していたのか不明ですが、源氏の出である義貞や尊氏がこの刀にこだわるのも納得です。
いずれにせよ、これら名刀の扱いをめぐって斯波高経は尊氏を恨み、直義党に寝返ってしまったのでした。
さて、尊氏・義詮・師直は京を奪回すべく、直義党の桃井軍と対決することとなります。
尊氏軍は3隊に分かれて京を攻撃しました。高師直率いる本隊が四条を、佐々木道誉率いる隊が東寺の前を、そして尊氏・義詮率いる隊が大宮を、それぞれ担当しました。桃井軍は四条を防ごうとするだろうから、高師直隊がうまく戦って桃井を引き付けて、その間に別働隊が回り込んで桃井を挟み撃ちにしようという作戦です。
