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日本人の物語00328【平安中期】藤原実方の左遷

 長徳元(995)年1月、従四位上・左近衛中将の藤原実方(ふじわらのさねかた:?~999)が突然陸奥守に左遷されました。この時代の「陸奥国」とは青森県・岩手県・宮城県・福島県を全て含んだものをいいます。後世になって青森県に当たる「陸奥」、岩手県に当たる「陸中」、宮城県に当たる「陸前」、福島県に当たる「岩代」「磐城」に分かれることとなりますが、当時はまだ東北地方を細かく区分する必要がなかったのですね。
 この左遷劇の原因について、『古事談』には次のようなエピソードが載っています。
 藤原実方は一条天皇の面前で藤原行成と和歌をめぐる議論をしていたところ、口論となり、怒った実方が行成の冠を奪って投げ捨ててしまいました。
 当時、冠を失って髻(もとどり)を他人にさらすことは大いに恥とされる行為でしたが、行成は落ち着いて従者に冠を拾わせ、砂を払ってかぶり直したといいます。
 これを見ていた一条天皇は
「行成は取り立てるべき人間だ」
と考え、蔵人頭に抜擢しました。一方で実方に対しては
「歌枕見てまいれ」
と指示して陸奥守に左遷しました。当時は辺境の地とされていた陸奥国で歌枕をゆっくり鑑賞して、気持ちを落ち着けて来いということでしょう。
 左遷された実方についての後日談もまた、『古事談』に載っています。
 陸奥国に着任した実方は、天皇に命じられたとおり陸奥国内の歌枕をめぐっていたそうですが、ある日「あこやの松」(山形県山形市)という歌枕を見に行こうと、地元の人に場所を尋ねました。しかし、地元の人は
「陸奥国にあこやの松というものはございません」
と言います。
 実は陸奥国というのは、かつて東北地方全域を指す言葉でした。和銅5(712)年に陸奥国から出羽国を分離独立させたのです。出羽国とは現在の秋田県・山形県を合わせた区域をいい、後に秋田県を「羽後」、山形県を「羽前」と呼ぶようになります。
 調べたところ、「あこやの松」は未だ出羽国が陸奥国から分かれる前に詠まれた歌枕でした。今となっては出羽国のものとなっており、実方の治める場所ではなくなっていたのです。
 実方は歌人として著名であり、
「かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを」
(こんなにお慕いしていることをあなたに伝えたいのですが、言えません。燃える私の思いを、まだご存知ないでしょう)
が百人一首に収録されています。

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