日本人の物語01604【室町/東国/長尾景春の乱】太田道灌の幼年期
道灌も景春同様嫌われ者だったわけですが、その理由がこのページでよく分かると思います。
ここで、長尾景春の乱鎮圧に最も貢献した太田道灌について、そのパーソナリティを深堀りしておきましょう。
太田道灌は天才的軍略家なのですが、「自分以外みんなバカ」といった傲岸不遜な性格だったようです。まず幼年期のエピソードからして振るっています。
道灌の父・道真は、道灌が幼くしてあまりに聡明であることを心配し、こう諭しました。
「知恵があり過ぎる者は偽りが多く、偽りは災いを招くものだ。例えばあの障子を見てみよ。障子は直立してこそ用を成し、曲がっていては役に立たないであろう」
道真は戒めのために例として障子を持ち出したのですが、これを聞いた道灌は屏風を指さし、
「父上、ではあの屏風をご覧ください。屏風は真っ直ぐでは上手く立たず、曲がっていてこそ役立ちます。曲がっていた方が良いものもあるのです」
と言い返し、道真をますます不安にさせました。
道真は道灌の驕りを心配し、今度は
「驕者不久(驕れる者、久しからずや)」
と記した四字を床の間に掲げましたが、道灌はその書に二文字を書き入れ
「不驕者又不久(驕らざる者もまた、久しからずや)」
と書き換えてしまいました。道真は怒って道灌を呼びますが、道灌は一目散に逃げたといいます。
もちろんこれらの伝説は後世に創作された可能性が高いのですが、とはいえ道灌の性格はまさにこれに近いものでした。というのも、道灌が書き残した『太田道灌状』を見ると、16歳年上であるはずの主君・扇谷上杉持朝を「竹寿」と幼名で気安く呼んでいたり(恐らく陰でそう呼んでいたのでしょう)、扇谷家の頭越しに山内家の当主(顕定)と直接やり取りしたりする形跡が目立ちます。さらには、自分の判断の正しさを誇り、他人の考えが間違っていると断定して記述している部分があまりに多いのです。
道灌は確かに政治的にも軍事的にも優秀なのですが、こうした行動が両上杉家の当主にとって面白いわけがありません。そして道灌は父・道真の懸念したとおり、驕りによって命を縮めてしまいます(後述)。道灌が55歳で殺されたとき、道真は76歳でまだ存命だったのですが、息子の横死をどのような気持ちで聞いたのか、残念ながら記録されていません。
道灌も大河ドラマに出来そうな題材なのですが、道灌以外の脇役が無名すぎるかもです。
